又吉直樹と通じる沖縄人の内的世界『豚の報い』又吉栄喜

ベストセラーで読む日本の近現代史 第24回

佐藤 優 作家・元外務省主任分析官
ニュース 社会 読書

 7月16日、又吉直樹氏が『火花』で芥川賞を受賞した。この受賞を心から嬉しく思う。『火花』には、10以上の小説になる物語が埋め込まれている。人間の喜び、悲しみ、口惜しさ、優越感、狡さなど、あらゆる感情を、又吉氏は、芥川龍之介や太宰治に連なる正統的な近代日本文学の表現を踏襲し、書いている。『火花』の特徴は、マイノリティーとマジョリティーの視座が交替して、人間を立体的に描いているところにある。『火花』において、「売れない芸人」だった主人公の徳永は、成功して中心に入っていく。そうなると、却って、周縁にいる売れない先輩の神谷のことが気になる。性格の本質にマイノリティー性が染みついている徳永は、中心に近づけば近づくほど、より周縁の心情を深く知り、自己が引き裂かれそうになるのだ。このようなマイノリティーの内的世界をチェコ人のミラン・クンデラは『存在の耐えられない軽さ』、アルバニア人のイスマイル・カダレは『草原の神々の黄昏』、韓国人の李恢成は『伽耶子のために』において見事に描いている。『火花』におけるこのようなマイノリティーの視座は、又吉氏が芸人であるということとともにルーツを沖縄に持っているからではないかと思える。母親が沖縄人で、日に日に日本人よりも沖縄人であるという自己意識を強めている筆者には、『火花』の徳永が告白する内的世界が他人事と思えないのである。マイノリティーにとって、自らが感じている澱や襞をマジョリティーにも理解可能な言語で表現することは難しい。又吉氏は、『火花』において、マイノリティーとマジョリティーの視座を対比することによって、両者が理解できない現実を言語化することに成功している。それが端的に現れているのが、世田谷公園における紅葉しない楓をめぐる徳永と神谷のやりとりの箇所だ。

マイノリティーの孤独

〈「師匠、この楓だけ葉が緑ですよ」と僕が言うと、「新人のおっちゃんが塗り忘れたんやろな」と神谷さんが即答した。

「神様にそういう部署あるんですか?」と僕が言うと、

「違う。作業着のおっちゃん。片方の靴下に穴開いたままの、前歯が欠けてるおっちゃんや」と神谷さんが言った。

 その語調には僅かな怒気が含まれているように感じられた。

「徳永、俺が言うたことが現実的じゃなかったら、いつも、お前は自分の想像力で補って成立させようとするやろ。それは、お前の才能でもあるんやけど、それやとファンタジーになってもうて、綺麗になり過ぎてまうねん。俺が変なこと言うても、お前は、それを変なことやと思うな。全て現実やねん。楓に色を塗るのは、片方の靴下に穴が開いたままの、前歯が一本欠けたおっちゃんや。娘が吹奏楽の強い私立に行きたい言うから、汗水垂らして働いてるけど、娘からは臭いと毛嫌いされてるおっちゃんやねん」

「そうですね」

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source : 文藝春秋 2015年9月号

genre : ニュース 社会 読書