死を見つめる

先崎 彰容 批評家
ライフ ライフスタイル 歴史

西郷隆盛(1827年〜1877年)
柳田國男(1875年〜1962年)
伊東静雄(1906年〜1953年)
小林秀雄(1902年〜1983年)
江藤 淳(1932年〜1999年)

 内村鑑三の『代表的日本人』は、西郷隆盛から始まるが、内村の西郷像は、私に多くの示唆を与えてくれる。内村は、のろまで無邪気な西郷が、多くの挫折を経験するなかで、自分の内側に閉じ籠りがちであったと指摘する。西郷が成し遂げようとした維新革命は、彼の理想に反して文明開化一色に突き進んでしまった。サムライ精神は無視され、優柔不断となり儒教の「道」を喪失し、日本人の堕落を招いてしまったのである。打ちひしがれた西郷を救ったのは、「天」の声だった。キリスト教の天と、儒教の天命の思想を重ねつつ、内村は西郷が内向と自閉から脱出し、使命観を帯びた活躍をしたと評価するのである。

先崎彰容氏 

 私も新・代表的日本人を西郷隆盛から始めたい。第一の理由は、その影響力の甚大さにある。例えば東洋のルソーとして名高い中江兆民は、フランス留学から帰国後、献策をするべく島津久光のもとを訪れる。兆民の野心は、自分と西郷隆盛こそが、本来の精神を失った維新革命を、正道に戻すために活躍できるというものだった。隠棲している西郷を国政に復帰させるなど容易なこと、勝海舟と面会させるだけで十分だと兆民は言い放った。その兆民が愛したルソーの民約論を読み、自由民権運動に参加した宮崎八郎は、明治10年、西南戦争で、西郷軍とともに戦死している。だがまさにその時、ある人物が獄中にあって戦死を免れた。のちに右翼の巨人となる頭山満である。西南の役後、鹿児島の地を訪れた頭山は、そこで地元民から鹿児島の人材は全て刈り取られ、今や不毛の地になったと教えられる。以後、頭山は反藩閥政府の立場から政治活動へとのめりこんでゆく。

近代に体当たりした西郷隆盛

 政治信条でいえば、兆民や宮崎は左派に、頭山は右派に分類できるだろう。だが西郷隆盛という人物のもとに、彼らは同じ夢を追って合流している。だとすれば、西郷隆盛とはいったい、何を意味するのだろうか。維新革命以後の日本において、西郷の名はどのような響きをもつ存在なのか。

 ここに西郷を取りあげる第二の理由がでてくる。内村鑑三にも中江兆民にも頭山満にも共通する思いとは何か。それは維新以来の文明開化が、日本本来の姿を喪失していくことへの違和感である。これを「近代化」の是非と言い換えることもできる。文明開化は、確かに日本人を豊かにしただろう。しかし、その「豊かさ」とは、例えば牛肉を喰うことであり、鉄道や電信で利便性が増すことにすぎない。同時に精神の内部で、大切な何かが崩壊したのではなかろうか。西郷でさえ陥った魂の苦悩に、日本人は以後、悩まされることになりはしまいか。

西郷隆盛

 近代化の毒を、西郷は「天」の声を聞くことで解毒できた。そして日本から正義と道徳的偉大さが失われることを嫌った結果、国を糺すために、城山の地で死を選んだのである。つまり、死をもって近代日本に体当りをして異を唱えたのである。ならば私たちが追いかけるべきは、近代化の是非と、その解毒方法ということになるだろう。新・代表的日本人を、私はこの観点から選んでいる。柳田國男伊東静雄小林秀雄江藤淳の4名は、それぞれ民俗学徒であり詩人であり批評家である。だが、彼ら人文学の空気を吸う者たちが取り組んだ課題は、西郷隆盛的なものであったと言ってよい。日本の近代化の毒を、彼らはしたたかに吸いながらも、極めて個性的な文体によって解毒方法を指し示したからだ。

 ではより具体的に、近代とは何だろうか。4人に共通するのは、死への嗅覚である。死を見つめることで、私たちにとっての近代の意味を明らかにしてくれたのである。

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source : 文藝春秋 2023年8月号

genre : ライフ ライフスタイル 歴史