ナマ小林秀雄を見たのは、昭和46年(1971)秋、東京宝塚劇場でだった。見たというのは正確ではない。文士劇のいわば「前座」として、短い講演をしたのだから、聴いたというべきかもしれない。恒例の文春祭りは創刊50周年だったので、小林秀雄が珍しく聴衆の前で喋ったのだ。小林秀雄の講演を聴くチャンスはこれが最後だという噂が大学生だった私の耳にまで伝わってきて、チケットを入手したのだった。
小林秀雄の肉声はいまならば新潮社の講演CDで簡単に聴くことができる。何度聴いても古今亭志ん生を連想させる無鉄砲な語り口と絶妙な間には、文章で読むのとは違った魅力がある。その語りが修練の賜物であり、志ん生の「火焔太鼓」のレコードを擦り切れるほど聴いていたのだと知ると、甲高い肉声は陰影を帯びて聴こえてくる。
飄々と現われて、あっけなく去っていった小林の講演の内容はほとんど覚えていない。いいものを見せていただきましたという素朴な感想と、講演の中で引かれた「徒然草」155段だけが記憶に残った。「死は前よりしも来らず、かねて後(うしろ)に迫れり」。潮干狩りをしていると、いつのまにか潮が足元に満ちてきている。そんなありふれた情景の描写が心に沁みた。
その講演「生と死」は、すぐに「文藝春秋」誌上に掲載され、いまなら全集で読める。久しぶりに「生と死」を読み直してみようと思ったのは、4年がかりで書いた評伝『江藤淳は甦える』で小林秀雄賞を頂戴するという僥倖に恵まれたからだった。
「生と死」を読むと、あの時の小林秀雄が「私も、今年は、もう古稀です」と喋っている。満年齢だと、ナマ小林秀雄は69歳だったわけだ。「棺桶に片足をつっ込む」という言葉を味わえないようでは「不具な老年」とまで言っている。1ヶ月前に亡くなった志賀直哉の話題の後には、3回忌となる獅子文六の絶筆を引用していた。「毎日鬱々として、愉しまない。久しく眠ってた、自殺の誘いが頻(しき)りだが。せっかくここまで、生きてきたのだから、そして、自然死も遠くないのだからと、辛抱してる」。
歿後半世紀がたって、獅子文六はちくま文庫からブームの火がついた。絶筆を書いた獅子文六は76歳の死だった。『江藤淳は甦える』の主人公が自らの生を絶ったのは66歳である。私はその最後の日に、原稿をいただくために江藤さんに会っている。ちょうど20年前の暑い日だった。その原稿が「絶筆」になるという巡り合わせがなかったら、江藤淳伝を書くこともなかった。書きおえた時には江藤さんの享年を超え、「生と死」を語った小林秀雄の年に近づいていたのだった。
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source : 文藝春秋 2019年12月号