出社して間もなく、同僚から「あなたのお母さんが、中国で話題になってるよ」と言われた。ご想像いただけるだろうか。芸能人でも、有名人でもない母親が、海を隔てた大陸で、話題になっていることを。そしてその一報を、会社で突然受け取る、私の動揺を。
話題になっているのは、私がツイッター(SNS)に投稿した、2分ほどの短い動画だった。母が、車に乗り込み、運転している様子を撮影したものだ。一応、ただの運転ではない。母は十数年前に患った大動脈解離の後遺症で、下半身麻痺となり、車いすに乗っている。まったく足を動かすことができないので、自動車に「手動運転装置」という、ブレーキやアクセルを手で操作できる機械を取り付けてもらい、一人で運転しているのだ。運転席に乗り込み、車いすをたたみ、ヒョイと持ち上げ、後部座席に押し込むところまで、母はすべて一人でやり遂げる。この工程をラクラクこなす母を、私は敬意を込めて「母ゴリラ」と呼んでいた。
私たち家族にとってはもう見慣れた光景だったが、そうではない人たちから見たらどうだろうか、と思い立って、軽い気持ちで動画を投稿したのだ。
それが中国で話題になっていると聞けば、雑技団からスカウトでもきたのかと思ったが、どうやら違うようだ。同僚は、スマートフォンを取り出して、中国の有名なウェブサイトの画面を見せてくれた。確かに、母の動画が取り上げられていた。中国の人たちが、動画に対して自由に感想を書き込めるようになっており、自動で翻訳された日本語を恐る恐る目で追ってみた。
「こんな細い腕と、華奢な身体で、車いすを持ち上げるなんて!」
「とっても美人だ。女優さんかと思ったよ」
「さすが日本製の車だ、よく考えられている」
「なんてエレガントで、かわいらしい女性なんだ。感動して泣いてしまった」
およそこのようなことが書かれていた。容姿に対する賞賛を、母はしつこいほどに喜んで報告してきたので、娘なりに忖度して、多めに書き写しておいた。
数日後、巡り巡って、今度はミャンマーで動画が話題になった。一体どこまで行くんだ。ミャンマーでは、中国の何倍も、母の運転に感動する人たちが続出した。ミャンマー人の約90%は、上座部仏教を強く信仰している。輪廻転生という概念があり、障害者とは前世で悪いことをした人と信じられ、障害者に対する差別も、障害者自身の自責の念も、色濃く残っているのだ。
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source : 文藝春秋 2020年1月号