晩節における『死』との対話

特別寄稿

ライフ 人生相談
——『老衰は死の育成である』ジャンケレビッチ——。米寿を迎えた今、私は「死」という「最後の未知」と向き合うことにした。

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私は人間の人生の平均値なるものをあずかり知らぬが、相対的にはかなりの波乱続きだった我が人生の終局に、肉体の衰弱に伴ってのさまざまな未練がかもしだされる晩節のふがいない有様に戸惑っている
▶私は政治家を勤めた事で命の危うさを感じたことはなかった。政治という猥雑な作業は人間の個性を摩滅させはしても死を予感させる肉体的な危機感をもたらすことなどありはしない
▶何人もの身近な人間の死を目にしてきたが、肉親の弟のように医者の手でいじくり回され苦しみ抜いて死ぬのだけは嫌だ
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石原氏

『死』に対する生者の奢り

 社会が成熟するにつれて起こる現象は高齢化であって、世間は当然のこととしてそれをことほぐが、それにつれて政治が醸し出す行政の所産は精々老後の保証のための消費税のつり上げくらいのもので高齢化がもたらす本質的な不安に対する全社会的な対処は見当らない。それは高齢化がもたらす肉体に於ける衰弱の自覚の先に予感される『死』に対する怯えにいかに対処するかと言う極めて個人的、個性的な人生の最後の命題にであって、晩節における『死』との対峙の良き方法を優れた政治が普遍して示す事など出来るものでありはしまい。

 故にもそれはあくまで人間個々の課題であって晩節の折節に個々当人が向き合って解決すべき課題であって普遍して人を納得させるものは精々したり顔に来世の天国や地獄を説く宗教の話題の類いに他なるまい。

 かく言う私も仏教徒であり釈迦が最後の教えで説いた法華経の時間についての卓抜な論や全宇宙をふくめた存在論には強く共感する人間だがそれでもなお私の将来にまざまざと存在する『死』という最後の未来、最後の未知なるものに怯え出来得ればその感触実感に人生の最後の経験として触れたいと願うがそれは所詮生者の奢りでしかありはしまい。

 世の宗教なるものは神仏への信仰依存という手立てで人間の救済を図るが生前に『死』の神髄について触れさせてはくれぬし、人間にとって最後の未来、最後の未知については生者の感触でふれさせてくれはしない。『死』については死んでみなくては分からないし、死が生者の知覚を失うものなら所詮死んでしまってはおいつくものでありはしない。

『最後の未知』のもどかしさ

 最近私はあくまで私の死後に出版する約束で私の一代記を書きはじめたが、88というかなりの高齢の今、相対的にはかなりの長さにわたった人生のあっけなさに驚かされる。

 私は人間の人生の平均値なるものをあずかり知らぬが、相対的にはかなりの波乱続きだった我が人生の終局に、肉体の衰弱に伴ってのさまざまな未練がかもしだされる晩節のふがいない有様に戸惑っている。

 それは私の人生の終局に存在する『死』なるものへの興味に強く惹かれながら、まさに人間にとっての『最後の未来』、『最後の未知』でもある己の『死』なるものについて全く予想がつかずにいるもどかしさだ。それは私に限らずに高齢に在る者たちの全てが抱える最大の問題であって、未だ生にある者は経験し得ない命題であって、いかに卓抜な英知を備えた天才にしても説いて教えることなどできるものでありはしまい。例えばあのベルクソンのような生前交霊術に耽溺していた天才でも実は適わぬことに違いない。

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source : 文藝春秋 2021年6月号

genre : ライフ 人生相談