紫式部(973年頃〜1014年頃)
関 孝和(1640年頃〜1708年)
津田梅子(1864年〜1929年)
大河内正敏(1878年〜1952年)
小柴昌俊(1926年〜2020年)
代表的日本人を選ぶにあたり、これまでこの世界になかったものを創造し、人類の文化に貢献したことを必要条件としました。
紫式部――世界文学の最高峰
その観点から最初に取り上げたいのが紫式部です。彼女の『源氏物語』は、その壮大な構想と繊細な美しさ、人間の欲望や運命に関する鋭い観察、深い心理描写と精神性において、世界文学の最高峰のひとつに数えられます。
主人公である光源氏は、幼くして母を亡くし、その面影を様々な女性の中に追い求めます。また、桐壺帝の皇子でありながら臣下に降ろされたことにより、強い上昇志向を持つことになります。第一帖の「桐壺」から第三十三帖の「藤裏葉」までは、様々な恋愛遍歴や須磨への流寓という政治的挫折を経験した光源氏が、准太上天皇にまで昇りつめる物語です。光源氏を中心とした骨組みがはっきりしていて、紫式部が全体の構成についての大きなビジョンを持って書いていったという印象を受けます。
ところが、第三十四帖の「若菜」になるとストーリーが暗転し、『源氏物語』はさらに高いレベルの文学作品に深化します。栄達の階段を登りつめたはずの光源氏は、自らの判断ミスにより人生の歯車を狂わせ、悲劇を引き起こしていきます。光源氏を中心に進んできた物語が、様々な人の視点から描かれるようになり、ドストエフスキーの小説を思わせる重層的な展開を見せます。
終盤の「宇治十帖」では、光源氏亡き後、運命に翻弄される人々の悲劇と哀しみ、そこに表れる人間の強さと弱さが描かれています。先の見えない世界の中で自らの生き方を模索する浮舟の姿にはとりわけ心を打たれます。
このように偉大な作品が創造された背景には、平安時代の数世紀にわたる安定した社会がありました。紫式部は教養ある家庭で育ち、中国や日本の歴史書、漢詩などにも深い知識を持っていました。さらに、彼女の周辺にレベルの高い読み手たちがいたことも重要でした。彼女が『源氏物語』の執筆を始めたのは、最後の遣唐使が帰国して160年後のことでした。この時代には、日本文化は世界と隔絶して独自な進化を遂げ、これまでに類を見ない文学作品が生み出される豊かな土壌を形成していたのです。
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