偉大な理由は、日本の影響を「隠した」から?
フランク・ロイド・ライトは、日本の建築デザインに大きな影響を与えたということになっている。庇が大きく張り出した、安定感のある水平性を基調とする構成。和風の真壁造りを思わせるような、ヒューマンで暖かいテクスチャー。洋風なのに、日本を感じさせるこのようななつかしい感じの住宅は「ライト風」と呼ばれ、広い意味でいえば、日本のほとんどの住宅は多かれ少なかれ「ライト風」であるという人さえ存在する。
大谷石という栃木県産のやわらかな石も、ライトが第2代目の帝国ホテル(1923)で用いたことがきっかけとなり、その後日本全国にひろまった。静かな住宅地を歩けば大谷石を積んだ塀に出くわすし、やわらかい石を内装に用いたレストランやバーは日本じゅうにある。しかし、ライトが宇都宮でとれる大谷石をわざわざ旧帝国ホテルで使うまでは、大谷石を栃木県の蔵以外で見ることはなかった。それほどの決定的影響を、ライトが日本に与えたことは間違いがない。
しかし、一方で、逆ではないかと僕は考える。すなわち、ライトが日本に影響を与えたのではなく、日本の方がライトに影響を与えたのではないか。まずそこから語り始めた方が、影響の時間的順序からいっても、自然である。
ライトと日本は、キャッチボールを行ったのである。そしてこのキャッチボール、実はヨーロッパもまきこんだ三角キャッチボールだった。この三極の建築文化、空間文化のやりとりが、近代デザインを大きく動かし、近代の時代そのものを回転させたと、僕は考えている。
三角キャッチボールが始まった20世紀の初頭は、建築デザインにとっても、大きな転換点であった。それ以前の西欧の建築は石やレンガを積み上げて作る、重たく、閉じた建築であって、新しい流動的な社会、新しい自由な空気にふさわしくないと、皆が感じ始めていた。新しい時代にふさわしい、明るく、開かれた建築が欲しいという人々の願望に対して、世界じゅうの様々な建築家がチャレンジを始めたのである。
その試みはモダニズム建築と総称されるが、実は絵画における印象派によく似たものであった。明るく開放的で自然とつながった空間を描くことが印象派の目的であり、従来の絵画の、暗く重い雰囲気を一掃することを、新しい画家達が求めた。モダニズム建築においても、印象派においても、明るく開かれていることが重要だったのである。
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source : 文藝春秋 2023年11月号