『源氏物語』の筆者・紫式部を主人公とするNHK大河ドラマ「光る君へ」の放映がいよいよ年明けに迫り、書店で平安時代関連の新刊を見かけることが増えた。日本史の歴史区分では、平安時代はそれに先立つ古墳時代・飛鳥時代・奈良時代とともに、古代に位置づけられる。古代史小説を多く書いているわたしにとっても、平安時代が注目されることが大変嬉しく、これをきっかけにこの時代への関心が増すといいなと期待するばかりだ。
とはいえ平安貴族の一般的なイメージは、今日ではあまりいいものとは言い難い。彼らは宴会や権謀術数、はたまた女性との色恋ばかりに明け暮れる軟弱な輩で、それゆえ無骨ながらも実直な武士に政権を奪われた——という歴史解釈は、いまだ広く人口に膾炙している。そのイメージの源流はやはり、紫式部が記した『源氏物語』の主人公・光源氏の色男ぶりやその生活から来た部分が大きいだろう。
だが光源氏はあくまで、物語の登場人物に過ぎない。現実の平安貴族は日々真面目に政を執り、変質する国の体制にも迅速に対応する能吏たちだった。能力がない貴族は出自がよくとも小馬鹿にされ、実力のある官僚はどんどん出世する。平安貴族社会は相当な実力主義社会でもあった。
それは女性とて同様で、たとえば紫式部や清少納言といった宮仕えの女性たちは、ただ主の機嫌ばかり取っていたわけではない。彼女たちの主人、つまり天皇の妃として入内した藤原家の娘たちは、親からは莫大な財産を受け継ぎ、男きょうだいの出世にも口出しをし、場合によれば次の天皇の母親として権力を持ち得る存在だった。それだけに女房たちには主を支え得る事務能力が求められ、一種の女性官僚的側面があった。華やかなりし平安宮廷は、まさに働く人々が日々奔走する労働の場だったのだ。
一方で平安宮廷には時折、意外なほど大胆な男女関係のもつれが確認できる。その一つが藤原道長の異母妹・綏子(すいし、974〜1004)を巡る騒動で、彼女はもともとは14歳で、当時まだ皇太子だった三条天皇(976〜1017)の妃となった女性だ。ただそんな立場にもかかわらず、綏子は源頼定(みなもとのよりさだ)という貴族と関係を持ち、果ては男児まで産んでしまう。綏子はそれから間もなく病のために亡くなり、産まれた子は比叡山に入れられて僧侶となるが、妃を寝取られた三条と間男・源頼定の間には長らく相当なしこりが残ったらしい。三条が即位して天皇となると、次の天皇に代替わりするまでの間、源頼定はまったく出世できなくなる。
平安時代が一般に流布しているような色恋沙汰ばかりの世界だったなら、三条天皇がこれほど妃の不倫に頑なになったわけがない。愛欲の日々ばかり送る平安貴族像は、まったくの誤解だと分かるだろう。
先日、上梓した拙著『月ぞ流るる』は、そんな綏子・源頼定の不義の子として生まれついた少年僧・頼賢(らいけん)と、かつて藤原道長の正室・倫子(りんし)に仕えていた女房・赤染衛門(あかぞめえもん)がタッグを組んで、ある妃の死の謎を探る物語。赤染衛門は「やすらはで 寝なましものを さ夜ふけて かたぶくまでの 月を見しかな」の歌が小倉百人一首に採録されるほどの歌の名手で、紫式部とも親交があったことが分かっている。
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