二〇〇七年、芥川賞の選考委員になってから今まで、最も強く心に残っている出会いは、第一四三回受賞作、赤染晶子さんの『乙女の密告』である。もはや古典として歴史に足跡を残す『アンネの日記』が、こんなふうに滑稽で奇妙な物語への変身に耐えながら、言葉や名前や記憶について、新たな光を発するようになるとは、とても信じられない思いだった。
『アンネの日記』をドイツ語で学ぶ女子学生たちは、スピーチコンテストに向け、バッハマン教授から“血を吐く”ような努力を求められる。教授はいつも左手にアンゲリカという名の西洋人形を抱いている。主人公は記憶を失う恐怖の中、忘れることでしか出会えない一番大事な言葉を追い求める。アンゲリカは誘拐される。乙女たちは密告に怯える。コンテストの日、主人公は血を吐いてでも語らなければならない、一人の少女の名を口にする。“アンネ・M・フランクより”。
選考はすんなり運んだわけではなかった。推す人がいれば、反対する人がいる。誰が密告したのか、そのことばかりにこだわっている委員に対し、『アンネの日記』と『乙女の密告』はもっと深いレベルで呼応し合い、無言の言葉、という矛盾を越えた響きを生み出しているのだ、と反論した。半分、腰が浮くほどの勢いだった。
懸命に説得しているうち、だんだん「ああ、自分はこの作品を受賞させるために、選考委員になったんだ」と感じるようになっていた。ようやく結論が出た時は、心臓がどきどきし、ずいぶん自分が興奮しているのに気づいた。私の様子を察したのだろうか、編集者が近づいてきて、「今回、選評は字数制限なく、好きなだけ書いて下さって構いません」とささやいた。おかげで思う存分、いつもの倍以上の分量を書くことができた。
赤染晶子さんとは一度だけ、お目にかかる機会があった。二〇一〇年の授賞直後、『文學界』で対談したのだ。場所は大阪駅のすぐ目の前にあるホテルの一室だった。
赤染さんは大変緊張しておられた。選考委員と対談するのは、誰にとっても気が重いだろう。しかし私たちの間には、アンネ・フランクがいた。その確かな名前が、私たちをつないでいた。
赤染さんは慎ましい笑顔を浮かべつつ、うつむき加減に、恥ずかしそうに話した。私が一番驚いたのは、『乙女の密告』を書くにあたり、まず『アンネの日記』を原語で読むため、オランダ語の勉強をした、ということだった。この努力が、小説の原点となる重要な発見をもたらす。つまり、オランダ語の習いはじめ、日記のページをめくると、分かる単語が一つしかない。それが、日記の最後に繰り返し記される、アンネ・フランクの名前だった。赤染さんは彼女が、繰り返し繰り返し自分の名前を綴った事実に気づく。架空の友人、キティーに宛てた手紙の形式を用いたのは、偶然だったのか、計算のうえだったのか、いずれにしてもアンネは、日記の中に誰にも奪われない、自分の存在の印を刻み続けた。
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