歴史に残る人物を小説に書く場合はまず年表作りから始める。その人物が何歳でどんな出来事に遭遇したかを、一応押さえておきたいからだ。
今年没後三百年を迎える劇作家、近松門左衛門を主人公にした『一場の夢と消え』を上梓する際も同様にして、いつにない感興を覚えたのは彼の生まれ年が私のちょうど三百年前だったからかもしれない。
元禄元(一六八八)年の彼は満三十五歳。私は自分がその年齢だった一九八八年を、ああ、バブルが始まった頃だなあ……と妙にはっきり想い出せるのである。
品位を下げた改鋳で通貨をジャブジャブにしたいわゆる元禄バブルが激しい物価高をもたらしたのは元禄八(一六九五)年以降のこと。当時の近松は京都の劇壇で座付作者として歌舞伎の舞台に筆を執っていた。それらの舞台の多くは豪商や大名家の放蕩息子を主人公にしていた点で、いかにもこの時代らしい作品群といえそうだ。
元禄十六(一七〇三)年の十一月に起きた江戸の大地震でバブルは完全に弾けたが、彼は同年の初夏に、大阪の人形浄瑠璃竹本座に今日でも知られる「曽根崎心中」を書き下ろしていた。金銭問題で心中に追い込まれる男女を主人公にしたこの作品もまた、同時代の世相を強く反映したものだろう。
「曽根崎心中」の大ヒットで近松は一躍ひっぱりだこの人気作者となり、徐々に歌舞伎を離れて専ら人形浄瑠璃へ筆を向けた。今日に残る歌舞伎や人形浄瑠璃文楽に共通の作品が多いのは、両者の草創期に携わった彼が双方に影響を与えつつ作劇の基礎を築いたからである。
竹本座で正式に座付作者となるのは宝永二(一七〇五)年、近松は満五十二歳。当時なら隠居してもおかしくない年齢で浄瑠璃に傾注したのだ。「国性爺合戦」や「心中天の網島」といった多くの名作がその後に誕生したのを思うと、驚異的な筆力の主だったのが窺えよう。生涯で無数の歌舞伎台本を手がけ、百本ほどの浄瑠璃を今日に書き残して、最晩年に至るまで筆を擱くことはなかった。
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