かの有名な一文に出会ったのは小学校の頃。入学祝いに貰った世界の偉人を網羅した事典だった。偉人たちの功績が子供向けに短く書かれたものの中に芥川龍之介があり『ぼんやりした不安』の一文があった。それを目にした時、妙に腑に落ちたのを覚えている。

自分の中に存在する、名前のないぼんやりとした輪郭のない感情の正体はこれだったのかと、答えを貰えたような気がしたのだ。文豪と自分の何かを同等に語りたい訳では決してない。ただ幼い頃から、このぼんやりしたものが私の中にある。それも心の片隅ではなく、ぼんやりした不安たちが塊となって割と真ん中に胡坐をかいてふんぞり返っている。
塊の中身はどれもぼんやりしているので、その時々で主に感じていることが違うのだが、心に沁みついて決して消えないもの達もある。
そのひとつが『自分だけが取り残される』不安だ。これは恐らく大半の人が抱えているだろう「死」に纏わるものなのだが、私は自分の死よりも他者の死が怖い。私には10歳年の離れた兄がいて、いとこ連中も大半は一まわり近く年上だ。末っ子の立ち位置で可愛がってもらったのだが、みなが年上なので、大切な人達が先に死に、自分が一人になるかもしれないという不安がいつのまにか芽生えていた。人は年齢を問わず亡くなることがあると知ってからも、この感情はより漠然と広がり、色濃くなっている。
もうひとつは『隙間』への不安だ。とにかく隙間があるのが不安だ。冷蔵庫も可能な限り食べ物をいれておきたいし、バッグのポケットには『出かけた先で何か起きるかもしれない』という不安も重なり、余計なものばかり突っ込まれている。
仕事もそうで、スケジュールに隙間さえあれば満々に受けてしまう。隙間がなくても自分を過信して引き受けてしまうことも多い。これは大きな仕事やキャリアが積まれれば解消されると思っていたのだが、『虎に翼』を書き終えた今も、結局仕事を満々に受けてしまっている。そのせいで日々は慌ただしく過ぎていき、体調不良などでスケジュールの歯車が狂い、周囲に迷惑をかけることもある(この原稿の締切もそうだ。本当にごめんなさい)。
私の創作の原動力は怒りであることが多いが、私の人生の原動力の多くは不安だ。もっと正確にいえば、人生の先にある不確かで漠然とした未来への不安だ。
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