ご覧のとおり、この雑誌のこのページは四段組である。100年前の創刊時からそうだった。創刊号の劈頭(へきとう)には芥川龍之介の「侏儒の言葉」を掲げたというのはいかにも権威がありそうだけれど、あとの執筆者はほとんどが無名の若者で、全体が28ページしかなく、すべておなじレイアウト、しかも内容は文壇の内輪話ばかりだった。
現在この四段組の部分はしばしば「巻頭随筆」と総称されるけれども、そんなわけで「文藝春秋」創刊号は、おもしろく言うと巻頭も巻中も巻末もみな巻頭随筆だったのである。
こんなふうに内容的にも物理的にも薄手だったこの雑誌は、しかし売れた。3000部がたちまち完売したというから大成功であるが、それにしてもなぜ売れたか。従来よく言われるのは定価の安さで、1部10銭、いなりずし5個の値段である。たしかに安いことは安いけれど、じつは私は、もうひとつ事情があったと見ている。
それは「薄い」ということの積極的な価値だった。創刊号は大正12年(1923)1月号、ということは書店の店頭には前年12月の後半くらいに姿をあらわしたはずだが、これはちょうど他の雑誌が「新年特大号」を売り出す時期にあたっている。
「特大」というのは嘘ではなかった。年末年始の休みに読ませるべく、ふだんより分厚くなっているし、目次にも一流の著者をそろえている。値段もいくらか高くなって、「特別定価」などと称して70銭とか80銭、なかには1円の大台に乗るものもあった。
読者としては楽しみが大きいと同時に、ちょっぴり鬱陶しさもある光景だった。そこへ平気な顔をして登場した薄い本こそが「文藝春秋」、こんにちで言うならネットの長い記事の合間に見るツイッターやティックトックのようなものか。これがとにかく売れたことで「文藝春秋」は「名前を知ってもらう」という古今あらゆる雑誌が苦労する最大の難関をいきなり突破することができた。そのあとだんだんページ数がふえて、一流の著者に書かせるようになって、あつかう話題が文壇の内輪話をはるかに超えた社会問題、政治問題におよんでもなお読者が離れなかったのは、ひとつにはこの先頭打者ホームランのあざやかな記憶が頭に刷り込まれたためなのである。
さて、そうなると疑問がひとつ。創業者である菊池寛ははたしてこのことが最初から見えていたのか。
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source : 文藝春秋 2023年6月号