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――女流棋士の先生方は振り飛車党が多くていらっしゃいますが、そちらの対局はいかがでしょう?

「女流棋士の対局も見たりしますが、やはり相振り飛車の将棋は参考になりますね。相振りはむしろ男性棋士よりも上を行ってるんじゃないでしょうか?」

――そこまでですか!?

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「たとえば相三間飛車で激しいやつとかは、僕よりも知識を持っているんじゃないかと」

――相振り飛車といえば、豊島先生との王将戦では相振り飛車シリーズになりました。あの時はやはり、意表を突かれましたか?

「防衛戦は1年前から決まっているので、それに向かって準備をするんですが……その準備がほとんど無になりましたよね……」

――向こうもそれを狙って来ているんでしょうが、やはりシビアですね……。

石本さくら女流初段(左)とともに ©白鳥士郎

振り飛車も上手かった村山聖九段

――亡くなられた村山聖先生には、久保先生が奨励会6級の頃から将棋を教わっていたと聞きます。『聖の青春』の作者・大崎善生さんに「自分の将棋の半分以上は村山将棋です」とおっしゃったとか。

「ええ」

――村山先生の振り飛車というのは、久保先生からご覧になっていかがでしたか?

「やっぱり振り飛車も上手かったですね。研究会で指しておられるのも見ていましたが……中終盤はもう圧倒的で。序盤で少しよくなっても、簡単にまくられてしまいました」

――奨励会6級というと、久保先生がまだ小学生の時ですよね? 村山先生は17歳で、既に三段でした。

「そうですね。関西将棋会館の3階に棋士室があるんですけど、昔は下の者がプロに『教えてください』なんて言えません。

 こっちは、棋士室に行って、じーっとしてるんです。棋譜並べたりとかして。で、村山先生は毎日来てる。それで誰彼構わず来た子には『将棋やろうか』と声を掛けてくれる。

 だから、声を掛けてもらえるのをわかってて行くんです(笑)」

――加古川から関西将棋会館に来るとなると、距離がありますよね?

「結構かかりますから、土日だけです。そのうち自宅に呼んでいただいて研究会をするようにもなりました」

――前田アパートですか?

「ええそうです。立石くんと、矢倉さん、それに僕を呼んでいただいて」

――有名な「関西の三羽烏」ですね。

「当時はみんな奨励会の二段とか三段になっていたと思うんですけど。高校1年生くらいでしょうか。

 村山先生は将棋以外でもすごく負けず嫌いなんです。将棋の研究が終わった後、トランプをしたり……。何をやっても、最後は自分が勝ちたいと。そういう方でしたね。勝負に負けたくないという」

――久保先生も、ジャンケンですら負けたくないほど負けず嫌いだったとうかがっています。

「そうですね。将棋に負けたら無言で駒を並べて『もう一回お願いできませんかね?』みたいな(笑)。子供だから言えないんで。そんな感じで、ずっと将棋を指していました」