「たらいまわし」の仕組み
では、ある病院が救急患者の受け入れを断るとどうなるのだろうか。
当然、救急隊は次の病院を選定して連絡する。一件目の病院と同じように、次の病院にも、またその次にも断られたらどうだろうか。複数の病院に受け入れを拒否されて、肝心の患者が不幸に至ることは、「たらいまわし」問題としてたびたび社会で注目を浴びてきた。
119番コールをしてから「救急車が現場に到着するまでの時間」、すなわちレスポンスタイムの短縮が重要であることはすでに述べた。一方、救急患者のたらいまわし問題は「現場から医師に引き継ぐ時間」を長くしてしまっている。
質の高い救急医療を実現するためには、「119番にコールしてから病院に収容されるまで」のトータルの所要時間が短くなければならない。実際に統計を見ると、1997年にはトータル26分だったが、2017年では39分と、約13分も延伸されている(図1-4参照)。
たらいまわし問題は、実は古くて新しい問題である。その構造的な問題点を整理するために、時代をさかのぼって、1985年12月に起きた「たらいまわし」の原点ともいえるべき事例から振り返ろう。「勇気ある大学生」として称えられた、滝口邦彦さんの痛ましい死亡事故だ。
ある日の深夜、東京都・蒲田の路上を滝口さんが友人と歩いていると、反対側から男がものすごい勢いで走ってきた。後ろからは「どろぼー、どろぼー」という叫び声。男が走り過ぎると、別の男が追いかけてきて「つかまえてくれ」と叫んだ。スポーツで鍛えていた滝口さんがとっさに走り出し、その男(強盗犯)を追いかけた。
友人があとを追いかけると、路地を曲がったところで、滝口さんが「くの字形」になって倒れていた。「どうしたんだ」と抱え起こすと、押さえた左わき腹から大量の血が流れ出たという。強盗犯に刺されてしまったのだ。
救急車は、当時の平均時間である6分半以内に到着し、滝口さんは救急車内に収容された。しかし、そこから救急隊員が受け入れ先の病院を探したところ、「外科の当直医が手術中」「重症者に対応中」「術後の観察室が満床」などの理由で、5つの病院に次々に断られた。
6つ目の病院でようやく受け入れが決定したものの、最も効率的な収容をした場合に比べて20分も遅れ、119番通報からは40分もの時間が経過していた。救急車が病院に到着した時には、すでに滝口さんの意識はなく、呼吸や脈拍も止まり、心臓も停止していたという。そして、収容先の病院で死亡が確認される。死因は出血多量だった。
当時、この事件はテレビや新聞で大きく報道された。
「もしすぐに病院に搬送されていたら助かったのではないか」
世の中の多くの人はそのように考えた。救急医療体制の不備に問題を投げかけた事件といえる。