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日本ブランド「マメ」の可能性 パリコレでの日本の立ち位置とは?

2019/10/21

 1966年、サンローランは「スモーキング」と言われる女性用パンツスーツを発表する。スモーキングは男性のタキシードスーツを、女性のために再構築した黒いスーツだった。

 サンローランは、男性の象徴的服装のタキシードスーツを女性が着用する服にデザインし、最新ファッションが問われるパリコレにて発表することで、カッコよさは男性だけを形容する言葉ではなく、女性にも「カッコいい」という魅力があることを明らかにする。スモーキングは男女間に横たわる美意識の境界を壊し、女性の服装に自由をもたらすと同時に、女性の社会進出を加速させる契機にもなった。

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 また、パリコレは商談が行われるビジネスの場でもある。世界中のデザイナーがパリコレへ参加してくるのは、自国内のビジネスから海外ビジネスへの進出が主な目的になる。パリコレはミラノやニューヨーク、ロンドン、東京といった他都市で開催される同様のコレクションに比べて重厚な歴史を持ち、注目度も高い。そのため、ヨーロッパ、アメリカ、アジアと世界中から商品の買い付けを行うバイヤーたちが訪れてくる。

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 ブランドから見れば、パリコレには世界中のショップと取引が行えるビジネスチャンスがあるということだ。しかし、逆に言えばそれだけ競争が激しい。

パリコレの舞台で革命を起こした日本人たち

 スポーツであれビジネスであれ、日本から世界レベルを目指す。それは現代の日本では今や当たり前の感覚。だが、それを日本のファッション界は1970年代から実現させてきた。

 日本と西洋の感覚を一つにするファッション。今では珍しくないそのスタイルを確立したのは、一人の日本人デザイナーだった。1965年に渡仏し、パリで経験を積んだ高田賢三である。1970年、高田はパリコレにデビューする。彼のブランド「ケンゾー」は、花柄を用いた豊かな色彩、和の美しさと民族衣装から着想を得た優雅なシルエットと装飾を武器に、日本と西洋の美的感覚が融合するファッションをパリモードに確立し、高田は世界のファッションを新しくする。

高田賢三氏 ©文藝春秋