先月10日、山手線の品川~田町間で新駅(東京都港区)の起工式が行なわれた。山手線では30番目となるこの駅は、2020年春の暫定開業を予定する。

 現在でこそ山手線は環状線として知られるが、そこにいたるまでには何度か変遷があった。いまから98年前のきょう、1919(大正8)年3月1日には、中央線の東京~万世橋(かつて神田~御茶ノ水間にあった駅)間の開業にともない、山手線と中央線の電車がいわゆる「の」の字運転を開始している。

 電車は中央線の中野を出発すると、現在の同線の快速電車と同じく、新宿~四ツ谷~御茶ノ水を経由して東京駅に到着。東京駅からはさらに現在の山手線外回り電車と同じく、新橋~品川~渋谷~新宿~池袋~田端をグルッとまわり、終点である上野へといたった。地図の東を下にして見ると、そのルートはやや変則ながら「の」の字になっているのがわかるだろう。なお、上野から南、東京駅までの路線はまだ完成していなかった。

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 山手線のルーツは、1885(明治18)年3月に品川~新宿~板橋~赤羽間が開業した日本鉄道の「品川線」である(このうち板橋~赤羽間は現在の埼京線にあたる)。日本鉄道は、現在の東北本線や高崎線を建設した私設鉄道だが、1906年に国有化された。このあと1909年10月に品川線は、池袋~田端間の「豊島線」(1903年開業)とあわせて「山手線(やまてせん)」と改称、12月には烏森(現・新橋)~品川~池袋~上野間で電車の運転が開始されている。運転区間は翌10年、烏森よりさらに北へ、呉服橋駅まで伸びた。呉服橋は、1914年に東京駅が開業するまで設けられた仮駅だ。

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 山手線の東京~上野間が完成し、環状運転が開始されたのは、関東大震災の2年後、大正も終わりかけの1925年11月1日だった。ちょうどこのころ東京郊外の宅地化が進み、新宿・池袋・渋谷など山手線の各駅は、私鉄と連絡するターミナルとして発展していく。

 ちなみに山手線の読みは1971(昭和46)年3月7日、「やまのてせん」と正式に改められた。いまのところ山手線でいちばん新しい駅である西日暮里も、この年4月20日に開業している。