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お客様は神様ではなくなり、戦後は終わった

果たしてクロネコヤマトの「便利」は持続可能なのか?

2017/03/23

サービス側とお客側がリスペクトし合って、社会は回る

 このあたり、先日来いろいろと騒ぎになっていたクロネコヤマトの「もうこれ以上、サービス水準は維持できません、すいません」というような発表なんかも思い返されるところです。お客様のニーズに合わせて時間帯指定や即日配達とか頑張ってきたけど、労働環境は厳しくなるし利鞘も取れないのであればサービス水準を引き下げるしかないと発表するのも道理です。外側から見ている私たちからしても「クロネコヤマトも佐川急便も日本の流通を支える各社はよく頑張った。無理しなくていい。別に今日頼んで今日配達される必要なんてないから、持続可能でみんなが健康でにこやかに仕事ができるレベルで頑張ってほしい」と思うわけですよ。

クロネコヤマトの配達 ©時事通信社

 将来はそういうところに人を張り付けずドローンとか無人配達機みたいなのが出てくるかもしれませんけど、それまでの間は結局はなんだかんだで労働力をそこに割り当てるほかありません。配送業なんて賃金をそう簡単に引き上げられる世界ではないだろうし、身体を使う仕事なのだろうから年を取ってもバリバリいけるぞというタイプの業務でもない。それでいて、日本の労働市場はほぼ完全雇用であって、例えば大学生で「私の一生をかけてしたい仕事は配送業です!」なんて奴はそもそも少ない。集まるのはそれでも前を向いて頑張って配送業に取り組んでいこうって人たちじゃないかと思います。違う人もいるかもしれないけど。そういう人たちでもむしろ敬意をもって迎えてもらえるような仕事にしていかないと本当はいけないわけです。要は、あなた方にとってお客様は神様であるべきということではなくて、事業をやる側とお客の側がある程度対等で、お互いにリスペクトしあう関係のほうが、社会はよりよく回るんじゃないかと、いまの日本社会はようやく気付いたってことなんじゃないかと思うわけですよ。だって、若者は少なくなる、社会は貧しくなる、お金を払ってもらえる仕事は選びづらくなっていく、そういうときに必要なものはより頑張らせるための精神論ではなく、お互いの立場を重んじる心とか敬意とかなのでしょう。

 そりゃあ利用者、消費者として便利であることは望ましいに相違ないですけれども、ほとんど追加費用なく配達人が時間指定で即日翌日に飛んでくる仕組みなんてそうそう維持できるはずもない。いくらテクノロジーが進展しても、道路事情はあるかもしれない、配達時間帯にたまたまうんこしている客はいるかもしれない、そういうのも含めて考えていくべきだとするなら、もう少し配送業者にお金が回る仕組みがあっても良いし、敬意も払われて良いと思うんですよね。

クロネコヤマト事例は突き詰めると「貧困対策」の問題

 で、大上段な話になりますけど世界に比べて日本の労働生産性が低いという話がありますが、この労働生産性というのはGDPを従属人口で割る指標ですから、サービス業に関して言えば労働賃金が上がらなければ何をしても労働生産性は上がらないということになります。つまり、日本の労働人口の7割がサービス業に従事している以上、配送業を含めたサービス業で働いている彼らの賃金が安く据え置かれたままだから日本の労働生産性が低いということになるのです。

©iStock.com

 働き方改革だよとか、女性進出とか、一億総活躍社会とか、ワークライフバランスとか、いろんなことを言っていますけど、行き詰っている理由の結構な割合はこの「仕事の質と量に見合った充分な対価が支払われていない」ということに尽きます。プレミアムフライデーなんていったって、金曜に仕事を切り上げられる勤め人なんて都市部の一部の大手企業勤務しかおらんのでしょう。それ以上に、配送業や社会福祉に携わる人たちは頑張って働いたところで賃金はほとんど上がらないので結婚もしづらいし、その業種で共働きしたって子供を養える稼ぎにはなかなかならないのも分かっているわけです。こういうのって経済体制をどうするかという根幹であって、ブラック企業批判や今回のクロネコヤマトの事例も含めて突き詰めて考えれば「貧困対策」であることをもう少し意識してもよいよなあ、と思うわけです。

 逆から言えば、ちゃんと金を払わないお客様は客とされず、神様ではないと明確になりつつあるのが現在なのでしょう。いままで以上に金がモノを言う世界になるのかもしれないけれども、その金がちゃんとみんなのところに回るような社会にしないと若い世代が死んじゃうというのが配送業問題の根幹なんだろうなと感じます。若い世代から貧困に落ちていくわけでね。

©iStock.com

いま現役の人たちは我慢のしどころ、と考えるということ

 そういう若い人たちが貧困に陥るような環境を作ってしまったのはいまの高齢者が現役の時代であるとも言えます。もちろん、高齢者にも貧困はたくさんありますけれども、高齢者の貧困はまあ自分の生きてきた軌跡にも理由はあるでしょうとは言えても、若い人たちの貧困で「それはお前らが駄目だからだ」とはとても言えません。教育も就労環境も若い人たちに責務は負わせられないのです。身寄りもなく文句を言う高齢者を見ていると、あなたがたがお子様を多く持たず、若い人を安く下働きさせて使い倒す社会制度にしてしまったから、彼らの身の回りには世話をしてやろうという親族も少なく、日々愚痴を垂れながら晩年を過ごすのかなあと思うと残念に思うところはあります。因果応報というと厳しい言い方になるかもしれませんが、次の世代がより暮らしやすい世の中にするために、いま現役の人たちは我慢のしどころなのだろうなあと考えながら介護と育児に走り回っている次第であります。

 とはいえ、介護と育児を両方やっていると、付き合う人々の世代が0歳児から90代まで幅広くなって、人間としていろいろと感じることが多くてこれはこれで恩恵を感じているんですけどね。

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