ドラマのないところを面白く書くのが技だと思うんです
――『スコーレNo.4』の靴店、『メロディ・フェア』の美容部員、『窓の向こうのガーシュウィン』の額装など、いろんな職業を取り上げていますよね。
宮下 登場人物の職業が決まらないと、物語の全体が見えない気がします。この人はこんな生い立ちで、こんな性格で、こんな環境で、と考えていくと、だんだん職業が見えてくるので、具体的にその人がその職場で働いているところを思い浮かべて、ぴったりきたらようやく書きはじめられるという感じです。私にとって、職業はかなり重要なのだと思います。
――『誰かが足りない』(11年刊/のち双葉文庫)は、ハライというお店に10月31日に予約をいれたお客さんたちそれぞれの人生模様が描かれます。これはどういう出発点だったのでしょう。
宮下 地元の本屋さんをぶらぶら見て歩いているときに、推理小説の棚の前で、ふと思いついた言葉が「誰かが足りない」でした。言葉にしてみると、私自身、いつもうっすらと「誰かが足りない」ような気がしていたのだと思いました。これだ!と思って、急いで家に帰って、「誰かが足りない話を書きたいんです」と編集者にメールを送りました。タイトルからすべてが始まった唯一の物語です。日付け自体には特別な意味はありませんが、この日の夕方6時に、「ハライ」というレストランにトラックが突っ込む事故が起きる設定で書きはじめました。全部書いてから、事故なんていらなかったんだと思いなおして、プロローグとエピローグからその設定を消しました。
――そうだったんですか! さて、宮下さんというと、日常というものを大切に書くというイメージがありますが、先日のトークイベントで、「非日常にもちょっと触れてみたい」とおっしゃっていましたよね。
宮下 そうなんです。角田光代さんが福井にいらしてお話しする機会があって、その時に「事件を書いても結局大事なのは日常ですよね」っておっしゃっていたんです。事件を書いても日常。すっごくうまいことをおっしゃるなと思って。たとえば角田さんの『八日目の蝉』も、逃亡している最中だから、米を5キロ買ったほうが安いけれども2キロだけにしておこうかと悩むシーンがあったりする。そういう日常があるから地に足がついている話になるんだな、って。やっぱり事件を書ける角田さんは日常も書けるんだなって思いました。事件は事件でも、角田さんは日常のなかの、ちょっと逸脱した部分として考えていると感じました。それで、私はこれまで日常の話でいい物語を書くのが自分の仕事のつもりでしたが、そんなにとらわれなくてもいいのかもと思ったんです。事件ではないかもしれないけれど、たとえば勝負の世界を書くにしても、私が書けば日常から離れることはないと思うので、そういうことも書いてもいいんじゃないかなと、実は思っています。
――今まで日常というものをいろんな形で書いてきたからこそ、思えることですよね、きっと。
宮下 でも「日常のこと」って、あんまり褒め言葉として使われなくないですか。「すごく小さなこと」って言われている気がするんですよね。
――日常のなかの何をどんなふうに描写するか、じゃないでしょうか。宮下さんはなにげない風景や光景も、非常に豊かな表現をされますよね。
宮下 ドラマのないところを面白く書くのが技だと思うんです。でも、読む側としては、もうちょっとドラマがあったほうがいいのかなとか、もうちょっと非日常のほうが面白いのかな、とか考えるんですよね。不特定多数の人が何を好きなのかは分からないので、それはきっと、読者としての私が判断することになると思うんですけれど。自分がもうちょっと日常から離れたものを読みたがっているのかもしれません。