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衝撃の急逝から10年……フジファブリック志村正彦が「ゆとり世代」の僕らに遺したもの

2000年代の終わりに姿を消した彼は、2010年代の終わりと共に伝説となった

2019/12/29

genre : ライフ, 社会, 音楽

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志村の急逝後に一気に注目を集めた「若者のすべて」

 2007年、僕は大学に入学した。

 高校時代とは変わり、目の前の世界が広がり、やることも増えた。行く街も、会う人も、桁違いに増えた。

 そんな中で、高校時代にあれだけ聴いていたフジファブリックからも少しずつ離れていったように思う。

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 志村の急逝後に一気に注目を集めるようになった「若者のすべて」は、僕が大学に入学した年の冬に発表された曲だった。フジファブリックの新譜が出たな、というくらいの認識はあったが、そこまでこの曲に注目していなかった。

最後の最後の花火が終わったら
僕らは変わるかな
同じ空を見上げているよ
(「若者のすべて」2007、作詞・作曲:志村正彦)

 2009年夏、大学3年生になった僕は大学の友人と一緒に、「就活がうまくいくかどうか分からないし、学生最後だな」と言って、ロック・イン・ジャパン・フェスティバルに繰り出した。前年9月からのリーマンショックのせいで、一つ上の先輩たちは就活に苦しんでいた。僕らもどうなるか分からなかった。そんな中、音楽は漠然とした不安をかき消してくれる存在ではあった。

©iStock.com

 そのステージにフジファブリックがいた。

 志村は、思ったよりも激しくパフォーマンスするタイプのフロントマンだな、と思った。髪を振り乱し、ギターをかき鳴らしていた姿が印象的だった。この日のフジファブリックは、「虹」は演奏したけれど、「若者のすべて」はやらなかった。

 志村が亡くなったのは、それから約5カ月後のことだった。