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2019/12/31

滝クリとの「デキ婚」発表の誤算

 例えば、小泉さんは滝川クリステルさんと結婚しました。その時、首相官邸で報道発表を行いました。PR戦略上は、「草食系」の政治部記者を不意打ちすることによって、「デキ婚」の背景を突っ込まれない記者発表に成功したのかもしれませんが、国家的な危機管理を考えると、微塵の油断も許されない権力の中枢で「人気女子アナ」とのろける絵面は、自民党伝統の演出ではありえません。「型破りな改革者」を意識してきたはずが、常識知らずの凡庸な若手議員たちと同じ土俵に自ら乗ってしまいました。

©共同通信社

 

 また、小泉さんは安倍晋三首相の政治姿勢に批判的で、安倍首相の思想や人柄に懐疑的な有権者、とりわけ無党派層からの支持を得て、人気者となりました。ところが、安倍首相の入閣要請をあっさり受け入れた。あの時、冷や飯覚悟で蹴っていれば、凡百の政治家ではない、「闘う政治家」として一目置かれ、与野党をまたいで期待が高まったことでしょう。

 これまでは長幼の序を重んじ、先輩の顔を立てる低姿勢を貫くことで、「嫉妬の海」と呼ばれる永田町でも敵を増やさなかった。ところが、結婚を機にまるで人が変わってしまったかのように、門外漢のポストでも飛びついた。直前にあった参院選では全国を応援行脚する間に「年金改革をお約束する」と訴え、党厚生労働部会長留任を希望していたにもかかわらず、ですよ。

 どの組織にもいそうな、節操のない普通の30代は羨望の的となり、入閣待機組からは怨嗟の声が上がりました。小泉さんの人気が高まるにつれ、大勢の陣笠議員が寄ってきて、数々の勉強会は盛況を博してきましたが、初入閣後、失言やスキャンダル、あるいは実力不足で憔悴する彼を全力で擁護した同僚政治家は誰一人としていませんでした。

「自民党のプリンスは必ず転落する」

 これは、小泉さん特有の現象というよりも、5年から10年に一度、彗星の如く政界に現れる「自民党のプリンス(プリンセス)」に共通している宿痾だととらえています。若き頃の中村喜四郎さん、加藤紘一さん、船田元さん、塩崎恭久さん、野田聖子さん、田中真紀子さん、河野太郎さん、渡辺喜美さん、後藤田正純さん、小渕優子さん、そして第一次政権の安倍さん……。プリンスは必ず躓く、しかも派手に転落するのです。

 拙著『無敗の男 中村喜四郎全告白』はおかげさまで反響を呼んでいますが、私は「平成最後のプリンス」小泉進次郎の毀誉褒貶を見続けてきた10年を踏まえ、「平成最初のプリンス」中村喜四郎さんの転落した背景に迫りました。喜四郎フィルターを通して、小泉さんにも通じる「プリンスの敗因」を読み解こうとしたのが執筆のきっかけです。

 自民党最盛期の80年代に頭角を顕した中村さんは、小泉さんのような自民党の舞台装置ではなく、最大派閥・竹下派の舞台装置によって「プリンス」に仕立て上げられました。独身時代はとにかくモテた。マスコミも寄ってきた。大した実績も上げられていないのに、政治の師である「田中角栄の再来」と持て囃され、40歳の時に「初の戦後生まれ閣僚」として、初入閣を果たします。

 世の中からどんどんちやほやされ、党の重鎮からは寵愛を受け、等身大以上のポストを任される。本当はそうでもないのに「重鎮の側近」と見なされ、次々と献金額が膨らんでいく。周囲の同世代からは羨望の眼差しを浴びます。しかし、自分では己の「からっぽさ」「薄っぺらさ」「実力不足」を知悉しており、「まずい」「まずい」と言い聞かせながらも、断り切れなくなって重責を担わされる。危ない橋を渡らせられる。地元から足が遠のき、有権者の生活感覚にも疎くなり、大事な時に耳障りなことを言ってくれる人がいない――。気付いた頃には、敵だらけになり、塀の内側に堕ちていった。

『無敗の男』では、四半世紀にも及ぶ雌伏の時代に耐え抜いた70歳の元プリンスが、弱冠43歳、2度目の入閣として建設相となった当時のことを後悔しながら語り尽くしております。