運命の乗り越え方
『ローガン』も、同じ挑戦をしているように思われる。終わる=死ぬことを運命づけられた人間は、どのようにしてその運命に抗い、勝利しようとするのか。
『MGS2』では、子を成す能力のないソリダス・スネーク(ソリダスに限らず、クローンのスネークたちは遺伝情報を残せない)は、ミームによって、次の世代に自分の存在を託そうとする。『MGS3』ではザ・ボスからビッグボスへの存在の継承として、死という運命の超克を描いた。
『ローガン』も同じ考え方で、運命を乗り越えようとする。
ローガンはある日、ローラという謎の少女をカナダとの国境近くにあるノースダコタまで送り届けて欲しい、という依頼を受ける(ローガンはメキシコの国境からカナダの国境を目指す。アメリカにはローガンの居場所はないとでもいうようだ)。ローラはある研究の成果として、超常的な能力を授かっていた。ローラを奪還しようとする組織の追撃を避け、命がけの戦いに挑む。
『ローガン』では『MGS』シリーズ同様に、主人公の限界(運命)は、次の世代へバトンを渡すことによって乗り越えられる(ボロボロになったローガンが、オールド・スネークのように、自分の首筋に注射器を刺すシーンまであるのだ!)
『MGS』と『ローガン』 名前を受け継ぐ物語
『MGS』シリーズと『ローガン』との共通点は他にもある。スネークもローガンも、ともに本名を名乗らない点である。彼らは、我々と同じように、固有の名前(本名)を持った、この世界で唯一の存在であるのに、受け継ぐことが可能な「もう一つの名前」をもつ。そのため『MGS』シリーズでは、複数のスネークが登場し、次の世代へのバトンを継承することができた。個人の限界(運命)を超えて、ユニバースを持続させ、彼らの使命を継承させる仕掛けが「スネーク」という名前なのだ。それはただのコードネームではないのだ。
ローガン=ウルヴァリンもまた、スネークの名前と同じ役目を果たす。ウルヴァリンはコードネームだが、ローガンも本名ではない。戦闘に身を投じていない時に名乗るのがローガンである。彼がかりそめの日常、かりそめの「人間」として振る舞うときの名前がローガンなのだ。今作のタイトルが『ウルヴァリン』ではなく『ローガン』なのは、彼が次世代に託そうとするバトンが、ただの戦闘の駒としての役割ではなく、一人の人間としてのバトンであることを意味している(『MGS2』の雷電が、最初は駒(ポーン)として扱われていたのに、人間ジャックとして目覚めることと同じだ)。
ローガンという名前は、連想の翼をさらに広げてくれる。
『ウルヴァリン:SAMURAI』のサウンドトラックに「ローガンズ・ラン」という楽曲がある。これは1976年に公開されたディストピアSF映画のタイトルだ(邦題は『2300年未来への旅』)。この映画は、人口爆発を制御するために、ドームと呼ばれる都市で寿命を管理される人々を描いている。市民は30歳になるとある儀式を受け、永遠の存在となるとされていた。主人公はローガン5という名で呼ばれ、その儀式から逃れようとする者を処刑する「サンドマン」という名と役割を与えられている。このローガンも、本名を持たない。ローガン5はこの世界に疑問を持ち、逃亡を図る。30歳を超えた人間は存在しないと教えられていたローガンは、しかし都市の外でオールドマンと呼ばれるひとりの老人に出会う。都市という世界を維持するために、人々の生命が断絶されていたことを知ったローガンは、外部との繋がりや時間との繋がりを回復する。『ローガン』で描かれるローガンたちの逃亡(ローガンズ・ラン)は、まさにX-MENユニバースの外部への逃亡でもあり、ローガン=ウルヴァリンが本当の意味での永遠を獲得することなのだ。