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“キモくなる”段階を通過し“ノリへ戻る”

 さて、このあたりで『勉強の哲学』の大まかなポイントを説明しましょう。この本では、会社や家族や地元といった「環境」に依存した状態がデフォルトであるとして、勉強することで、そこからどのように自由になるか、ということを大きなストーリーとして書いています。ある特定の環境のコードに従順な、周りのノリにあわせた状態は「保守的」であると言えます。だとすれば、勉強によって身につけてもらいたいのは、「批判的になる」ということです。今とは別の可能性を批判的に考えてみる。それは、あえて「ノリが悪いこと」を考えてみることです。自分が慣れ親しんだ環境のノリから離れてみる。自由の余地は、むしろ「ノリが悪い語り」に宿るのです。しかしそれは、かつていた環境からは「浮く」ような語りでしょう。

 同調圧力の強い日本では、「出る杭は打たれる」と言われるように、自分独自の考えを持ったり、批判意識をもつと、周囲のノリからずれてしまうということがよくあります。しかし、勉強するというのはつまり、そうしたズレを生きることなのです。この本ではそれを「浮く」とか、周囲から見て「キモく」なると表現しているのですが、まずは勉強することで浮くことを恐れるな、と言いたい。今までのノリから別のノリへ引っ越す途中では、居心地の悪い思いをするかもしれない。でもそれは、今より可能性をたくさん描けるようになるための変身過程だと捉えてほしいのです。

©末永裕樹/文藝春秋

 では、勉強を深めるとキモくなるのだとして、周りのノリから意識的に距離をとるには、どうしたらいいのか。この本では、そのためのメソッドを「アイロニー」と「ユーモア」という二つの概念によって説明しています。アイロニーは、ものごとの根拠を疑うこと。会話のシーンで考えるならば、話のちゃぶ台をひっくり返すような発言をすることですね。「不倫は悪だ」とみんなが話しているとして、「本当に悪なの?」と突っ込みを入れるような発言。一方で、ユーモアは別の視点を持ち込んで、話を転々とさせること。本書で挙げた例では、たとえば、「不倫は音楽のようなものだ」と、ボケるような発言をすることです。こうした発言をする人は周囲のノリから浮くし、キモくなります。しかし、アイロニーとユーモアこそが、勉強の第一歩であり、自由のための思考スキルに対応しているのです。

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 ともかく、勉強によって変身するためには、このキモくなるという段階を通過しなければなりません。周りのノリにあわせている第一段階を「バカ」だとすると、そこから距離をとってキモくなる、浮くのが第二段階です。しかし、単に浮いているだけではなく、第三段階として、再びノリへ戻るということも書いています。本の刊行以後、この第二段階の記述をとらえて、「キモい自分が肯定された」といった共感の声がたくさん寄せられています。それはそれで嬉しいのですが、僕が強調したいのは、そこにとどまらず第三段階へと抜けていくことです。アイロニーとユーモアの言語技術を自覚して、最終的には、そのギアを自由に入れたり入れなかったりできるようになる。場に応じて浮く/浮かないのスイッチング、複数のノリの行き来をできるようになること。それこそが、サブタイトルにある「来たるべきバカ」なのです。

文責:文藝春秋第一文藝部

気鋭の哲学者・千葉雅也の東大講義録 #2「勉強は変身である」に続く

ちば・まさや/1978年栃木県生まれ。東京大学教養学部卒業。パリ第10大学および高等師範学校を経て、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論コース博士課程修了。博士(学術)。哲学/表象文化論を専攻。フランス現代思想の研究と、美術・文学・ファッションなどの批評を連関させて行う。現在は、立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授。著書に『動きすぎてはいけない――ジル・ドゥルーズと生変化の哲学』、『別のしかたで――ツイッター哲学』、訳書にカンタン・メイヤスー『有限性の後で――偶然性の必然性についての試論』(共訳)がある。今年5月には『勉強の哲学 来たるべきバカのために』を出版し、「東大京大で一番読まれている本」になった。

勉強の哲学 来たるべきバカのために

千葉 雅也(著)

文藝春秋
2017年4月11日 発売

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