ライバルなんていなかった、全部参考にしてたから
―― 82年に「文藝春秋漫画賞」を受賞された時、選考委員の漫画家・加藤芳郎さんが選評で「『絵』はやがて必ずうまくなると信じている」と植田先生にエールを送っています。デビュー当時から現在までを振り返って、ご自身の画についてはどう思っているんでしょうか?
植田 いやほんと、いまだに自分は素人って感じがしてます。謙遜でもなんでもなく。特に昔の画を見ると恥ずかしくて……。
―― このお話の流れで大変恐縮なんですが、たとえば「かりあげクン」の第1巻と最近のものでは、この鼻の下の長さがけっこう変わってきていますよね。意識的に変えてきたものなのでしょうか?
植田 (第1巻を手にしながら)これなんて、たくさん描き始めてから4、5年も経ってない頃の画だよね。やっぱり、段々、徐々に修正されていくんですよ、自分でもわからないうちに無意識に。私は誰かのプロダクションでアシスタントしていたわけでもないし、日々描くことが絵の勉強だったんです。誰かの漫画を見ては、「あ、こうやって描くのか」「なるほど人間の体の重心がこうだから、形はこう変えればいいのか」って具合で。見よう見まね。参考にしていた人は、その頃一緒に描いていた漫画家全員ですから、ライバルなんていなかった(笑)。
―― そんな植田先生の画風に影響を受けた漫画家の一人に田中しょうさんがいます。田中さんとはお会いしたことあるんですか?
植田 田中さんは直接、私に「植田さんの真似をしています。手本にしています」って言ってくれました。あの人はもともと、読売新聞で政治漫画描いていた牧野圭一さんのお弟子さんで、少女漫画を描いていたんですよね。だから、田中さんのほうが、私よりずっと画がうまいですよ。
―― 先生から見て、どんなところが「うまい」んですか?
植田 線がちゃんと引けてます。丸にしても四角にしても、ブレない。私なんか、けっこうブレちゃうんですよ。
「ピエーッ」「ンモー」の謎
―― 植田先生の漫画で特徴的なのが「ピエーッ」とか「ピャッ」「ンモー」といった、独特の悲鳴とか感情表現の言葉です。この発想というのはどこから来ているんでしょう?
植田 やっぱりね、素人なるがゆえですよ。表現の仕方が、漫画の勉強をしてきた人とは違うんでしょうね。普通だったら「キャー」とかなわけでしょ。画の話に戻るけど、たとえば日本の漫画の手の形って、ディズニーから影響を受けた手塚(治虫)さんの技法が主流なんですよ。でも私の場合、手塚さんの漫画さえロクに読まずにデビューしたもんだから、それがない。ササササッて描いてピッ。
何年か前に中学生が職場訪問みたいなので、ここに来たことがあるんです。そしたらね、「植田先生の画はすっごく独特だと思います」って言うの。エーッ、自分じゃ独特なんて思ってないんだけど、言われてみれば、って感じで(笑)。
―― いま連載は何本お持ちなんですか?
植田 月刊誌が3本、週刊誌が1本、それと新聞ですね。1年で1100本くらい4コマを描いていることになります。1日あたり平均して2、3本ってところかな。
―― いやあすごい……。アイデアがよく枯渇しませんね。
植田 昔からアイデアの方ばかり先行して、画が全然ついていかなかったんですよ(笑)。
―― 文春漫画賞受賞の弁で、先生がこんなこと仰ってるんです。「文春漫画賞は芥川賞的な漫画賞だ。僕は直木賞的な漫画家だから、とれないと思っていた」。これって、どういう意味なんでしょうか?
植田 どっちかというと、私の漫画は通俗って感じでしょ。芸術性みたいなものはない。去年、「かりあげクン」で日本漫画家協会賞大賞をいただいたんですけど、これも意外でした。この賞も、芥川賞っぽい性質だから。今年はつげ義春さんが受賞されてたでしょう。
―― つげさんとはお会いになったこと、ありますか?
植田 あまり表に出てこられない方ですよね。もちろん会ったことはないんですよ。いま漫画家協会の理事やっているから矢口高雄さん、松本零士さん、里中満智子さん、森田拳次さんとかにはお会いするんですけど、ほとんど漫画家とのお付き合いはないですね。
―― 新聞4コマつながりで、東海林さだおさんとは?
植田 特にないんですけど、東海林さんは15コマくらいの長めのものもお描きになるからすごいですよね。
―― やはり4コマと、それ以上長いものとは方法が全然違うわけですか。
植田 作家の精神状態が違うんだと思います。4コマの人は短気。私はおっとりしているように見えるかもしれませんけど、内側じゃ短気でね、即断即決タイプなんです。ストーリーを描く人は、何回か山を作って最後に落とす流れを作らなきゃならないでしょ。頭の中は全然違うと思うんです。