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「男性サポート役」がいない『ハーレイ・クイン』が見せた、女性主人公物語の“第三段階”

2020/03/27
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男たちはどうなった?

 今挙げた二作では、こういった女たちの連帯の物語が特徴的に出てきているのだが、『マッドマックス』と『ターミネーター』というこの二つのエポックメイキングなシリーズ作品の、元々の中心キャラ、それも男性キャラはどうなってしまったのか。ここで言っているのはもちろん、かつてはメル・ギブソンが、そして今回はトム・ハーディが演じたマックスであり、アーノルド・シュワルツェネッガーが演じたターミネーター(T-800)である。

 結論から言うと、女性の連帯を中心とする物語の中で、彼らは「サポート役に回る」。

 私にとっては、女性主人公(たち)をサポートする男性キャラの原型は『風の谷のナウシカ』のアスベルだ。アスベルは、(漫画版ではより明確だが)あらゆる点で彼よりも秀でている主人公ナウシカを恋慕しつつも、最終的には遠くから見守るといったポジションをとって終わる。宮崎駿作品で言えば、このアスベルのなれの果てが『千と千尋の神隠し』(2001年)で主人公の千尋を助力しようとして空回りするカオナシではないかと思う。カオナシは、女性が中心となった物語の中で自分の存在価値についてのパニックに陥った男性性の暴走と断末魔のようなものだ。

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宮崎駿著『風の谷のナウシカ

 こちらの記事でも述べたが、このような男性の系譜には、『アナ雪』『アナ雪2』のクリストフ、『スター・ウォーズ』新シリーズのフィンなどがいる。

 『マッドマックス』『ターミネーター』についても同じである。マックスはフュリオサとハーレムの女性たちを、最初は出しぬこうとするものの、結局は彼女たちを助力し続ける。フュリオサへの輸血はその集大成だ。また、『ターミネーター2』では少年ジョンの擬似的な父親となったT-800は、『ニュー・フェイト』においては(といっても『ターミネーター2』とは別の個体なのだが)人間の妻・子と家族をつくっているが、それを捨てて主人公の女性たちを助ける役割を果たす。

男性キャラが助力者に回ることで「保存」されたもの

 さて、このような「サポート役としての男性」という類型を提示されて、男性読者はどう感じるだろうか? フェミニズムの隆盛のお陰で女性たちは大活躍し、男性はそのサポート役しか残されていないなんて、俺たちかわいそう、と感じるだろうか。そう感じるとしたら、それはちょっと現代という時代が分かっていないと、申し訳ないが言わなければならない。

 まずひとつには、ここで話しているのは映画というポピュラーなメディア上の物語の話である。現実には男性優位の社会は大まかにはひっくり返ってはいない。だから、上記のようなことを知ったからといって「男がかわいそう!」とパニクる必要はない。

 それとは別に、男性キャラが助力者に回るというのは、じつは男性性の「保存」のための手段だとも言える。男性優位の社会が大きなところで変わっていないとはいえ、旧来的な男性性がそのまま通用可能なわけではない。そこで「やさしい助力者」という新たな男性性が発明される。そういうポジションにつける男性は「先進的で意識が高い」とみなされる、というおまけまでつく。イクメンという言葉で思い浮かぶ男性像はどのようなものだろうか。