「お昼の帯ドラマだったので、とにかく撮影の量が多かったんです。緑山スタジオで、撮影が朝8時から深夜まで続く日もありました。午前中は大人と子どもが絡むシーンを撮り、夜は大人だけのシーン。台本を何週分も持ち歩くような日々で、泊まり込む日もありましたが、岡江さんは疲れた顔を見せたことは一度もありませんでした。年下の私が言うのも失礼ですけど、岡江さんは可愛くて、明るくて、私も元気にお芝居しなきゃと思っていました」
「待子、飲んでる? 飲み足りないよ」
当時30代半ばだった岡江さんに、若き日の若林は何度も勇気づけられたという。
「92年のパート2で、待子は竹内力さん演じる高校の担任と結婚するのですが、夫となった先生はその後、亡くなってしまう。その悲しみを両親役だった綿引さんや岡江さんの前で話すシーンがあったんです。あのときは長セリフで緊張していて、気持ちが一杯いっぱいでした。それでもなんとかセリフを言えて監督のカットの掛け声がかかると、岡江さんが私に一言、『やっぱり待子の言葉は伝わってくるね』って。岡江さんはカメラが回っていないのに涙ぐんでくれた。本当の親子のように心が通じていたようでうれしかったです」
ドラマがスタートして3年経ったころには、撮影現場を離れてプライベートでも、岡江さんと仕事談議や美容話で盛り上がった。
自宅でお酒に合う小鉢を作ってくれた
「撮影のないオフの日に岡江さんのご自宅に招待されたこともありました。岡江さんは料理が上手で、お酒に合うおつまみの小鉢をたくさん作ってくれました。お酒を飲みながら仕事の話をしたり、岡江さんから『これ使ってみな待子。いいわよ』と、肌にいいお化粧品を勧めてくれたりしました。
お酒を飲んでいると、岡江さんが『待子、飲んでる?』『待子、飲み足りないよ』『待子、今日飲む量が少ないんじゃない』と、いつも役名で呼んでいただいて、本当の親子のようでした。お酒が好きな岡江さんはドラマの打ち上げでもいつもほろ酔いで、みんなのことを笑顔で見ていた。そんな岡江さんの顔を思い出します」