「これまで私は経済的な事柄について、手当たり次第に色々な研究をしてきました。その成果をもとに本を書こうと思っていたのですが、編集者との打ち合わせで、一言でいえば私の書きたいものは、〈人情〉でまとめられるのではないか、そしてそれがタイトルにもなるのではないかという話になったんです」
『義理と人情の経済学』を上梓した山村英司さんは語る。「人情」とは、一時的な感情ではなく、文化や歴史を背景にして形成されるものであり、それが私たちの経済活動の鍵であると山村さんは本書で説く。
「伝統的なふつうの経済学では、人と人とのかかわりあいや個人の好みは一定のもので、自分の利益を最大化するために行動するものとして考えます。それはいわば“人情のない経済学”です。
しかし実際には、そんなことはありえませんよね。好みは時に応じて変わるものですし、人とのかかわりあいのなかで、私たちの行動も変化します。
私はそうした人の絆や信頼関係、思いやりや利他性などといったソーシャルキャピタル(社会関係資本)を軸にした、人とのかかわりと経済の関係を主に研究してきました」
このような関心を中心にして、本書では山村さん自身や内外の経済学者の興味深い研究を多数紹介している。たとえば夫婦の分業がその関係にどのような影響を与えるのかが解き明かされる。古典的な経済学の観点からは、もし夫が仕事で高い収入を得ているのなら、夫は仕事に専念して、家事は妻が全部やる「分業」が理に適(かな)うと考えられる。その方が全体の所得は増加するからだ。
ところが分業を徹底すると夫婦喧嘩は減るものの、夫婦の共同作業を通じた相手への信頼感や共感は得られなくなり、相手に対する評価は低くなってしまうことがわかった。
またESG(Environment Society Governance=環境やコミュニティなど社会全体の多面的な利益を考慮する)投資について。
山村さんがおよそ1万人の個人データを集めて分析したところ、小学校1年生のときに女性の担任に教わった男子生徒は、教わっていない男子生徒に比べて、成人後ESGについてより重視している結果になったという。
「排ガス規制や環境保全などへの取り組みなど、近年ESG投資は企業の株価を左右するほど、社会で重要視されています。
私が研究に利用したデータからは、小学校1年時の担任の先生の性別で、ESGについての考え方だけでなく、喫煙や投票など様々な行動にはっきりとした違いが表れていました。人生の骨格は小学校1年生のころの担任に大きな影響を受けているんです。
一般的に見て、男性の先生が生徒の学業を見ることに集中するのに対して、女性の先生は、生徒の成績以外の生活全般に目配りがきいていて、より視野が広い。その影響を受けた結果なのだと思います」
山村さんは、今まさに私たちが直面している問題の研究も進めている。
「実はいま新型コロナと人々との関係について研究を進めています。東京のような大都市と比べて、利他性の高い、相手のことを考える人々の暮らす地域ほど、感染者数の増加の落ち着きが早い。理由のひとつは利他性の高い地域の人々は外出の自粛に真面目に取り組むからだと考えられます。これから細かいところをしっかりと詰めて、近いうちに皆さんに紹介したいですね」
やまむらえいじ/1968年、北海道生まれ。早稲田大学大学院博士前期課程修了、東京都立大学大学院社会科学研究科経済学専攻単位取得退学。現在、西南学院大学経済学部教授。博士(経済学)。専門は行動経済学、経済発展論。