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「先」のことを語られてもピンと来ない

 コロナ感染拡大に伴って人々の価値観は大きく変化した、あるいは、変化している最中と言われていますが、「今こそが大事」という認識の強まりはその一つなのではないかと思います。

 このところ再び感染者数の増加が報告され、また集中豪雨が続いています。 東京だろうが地方だろうが、この国を、世間を覆うさまざまな不安がまた強まりつつあるように、「先が読めない」「先が見えない」という現実は私たちの前に立ちはだかっています。

 そんな状況にある今、遠い「先」のことを語られても、どうしてもピンと来ない。人々の視線は、明らかに、より近いところに向けられているのです。先行きが見えないことに加えて、今は「目先の楽しみ」「目先の希望」がほとんどない状態。毎日続く感染者数の報道も、政治の対応も、世の中の反応も、数カ月前に見た光景の繰り返し、あるいはその延長線上に感じられますし、エンタメも今できることはやり尽くした感がある。

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 だからこそ今、ワクワクできることが欲しい。今、心を躍らせてくれる何かが欲しい。自分自身の目の前の不安と苦悩を乗り越える、元気の源だったり、これからの生き方の学びが欲しい。スポーツは、必ずその思いに応えられるはずです。

いま求められる「短期的かつ個人的な目標」

 でも、そうした世の中の価値基準の変化に対応できておらず、コロナ前と同じ古い認識のままになっているように感じられます。「コロナ前」の意識の範疇の中で、「コロナ禍」の今、できることをやることが目的になっているように感じます。

 東京オリンピックが本当に行われるのかどうか。はっきりとしたことは誰にも分かりませんが、世界的な感染状況を見る限り、開催はかなり危ういと言わざるを得ないと思います。

新国立競技場 ©︎iStock.com

 プロ野球やJリーグ、その他のスポーツも、リーグ戦を最後まで続けられるかすら、不透明です。感染者の増加で中断されたり打ち切りになったりするリスクは依然として相応に高い。そうした将来に対する潜在的な不安や疑念が、世の人々の潜在意識の中にあると思います。要は、誰にも2カ月先の未来がわからない時代なのです。

 にもかかわらず、金メダルやリーグ優勝、来季の昇格といった目標を掲げられても、どうしても共感しきれない。「オリンピック、本当にできるのかな」「リーグ戦を最後までやれるかな」との思いが頭をよぎり、「仮に優勝したとして、どうなるんだろう」「私たちにとって、どんな意味があるんだろう」と、何かしら引っかかりを感じてしまう。

 コロナの不安が完全に払拭されない状況下においては、「長期的かつ全体的な、漠然とした目標」よりも、「短期的かつ個人的な、そして具体的な目標」に人々は惹きつけられるのだと思います。そちらのほうがより確かで、実感を持てるからです。