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 かならずしも旧軍人と明記されていないが、もしそうならば、これらを「コスプレ」と呼ぶのは不適当だろう。当時の軍装には、批判こそあれ、それなりに歴史的な根拠があったのである。

 これにくらべて、若者は、迷彩色の戦闘服姿が目立ったようだ。「旗を掲げた軍服の集団や迷彩服姿の若者たちも練り歩いた」(朝日新聞、1988年8月15日)、「パンチパーマに戦闘服姿の右翼らしいグループ7人が境内に。それをみていた中年の男性は『まるでヤクザだね』」(北海道新聞、前掲記事)。

©️iStock.com

「軍国主義復活の象徴」として国外でも報道

「軍服で靖国参拝」の記事は、1980年代なかばより急増している。これは「公式参拝」の影響が大きいだろう。1985年、中曽根首相は、靖国神社への「公式参拝」を行い、中国から非難を浴びた。これにより、靖国参拝が外交問題となり、社会的にも大きな注目を集めるようになったのである。

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 また国外でも「軍服で靖国参拝」は、日本の軍国主義復活の象徴として報道されるようになった。

 こうした批判を意識してか、90年代には、「なぜ軍服で参拝するか」を説明する者も出てきた。つぎはその典型である。

「『英霊には昔の服装で慰霊するのが礼儀じゃ』/行進を終えた愛知県岡崎市の●●●●●さん(83)は、海軍服を約5万円かけてあつらえた。胸には勲章が光る。『こっちは本物です。これが従軍記章、これが……』」(朝日新聞、1997年8月16日)。

軍服姿で靖国神社を参拝する人々 ©AFLO

 この男性は、愛知県からやってきた海軍出身者でつくる「東海軍装会」のメンバーだという。

 そしてこのような説明は、2000年代に入ると、若い世代に引き継がれるようになった。

軍装者の“世代交代”が加速する

「旧海軍下士官の制服を着た●●●●さん(67)が軍艦旗を手に行進。『お国のために戦って散った英霊に敬意を表して軍服を着ている。英霊はここにしかおらず、計画されている国立追悼施設は犬小屋にもならない』」(東京新聞、2002年8月16日)。

 この男性は、年齢から明らかに旧軍人ではない。このころより、軍装者の世代が急速に入れ替わっていく。つまり、「軍服コスプレ」の本格的な起源は2000年代に求められるのではないか。