つぎの者も、一見旧軍人のようだが、「軍服コスプレ」にほかならない。同じ高齢者の軍装でも、中身が入れ替わっているのだ。
「旧陸軍将校の軍服に身を包んだ新宿区の男性(74)が鳥居の下で直立。参拝客がカメラを向ける中、本殿に向かって『今の弱腰の日本ではダメだ。国防の原点は自分の子や妻を守ること。戦争に負けるとひどい目に遭う』と声を張り上げ、竹刀を振る」(東京新聞、2007年8月16日)。
そして現在では、ドイツ軍の軍服を着用する者まで出現した。靖国を訪れたドイツ人研究者は、「『なぜ、靖国でドイツ軍の服なのか』とけげんな様子」だったそうだが(東京新聞、2015年8月16日)、もっともな疑問だろう。
「軍服で参拝」の先駆者は何を語っていた?
ところで、戦後における「軍服で靖国参拝」は、いつまでさかのぼれるのか。「靖国 軍服」などで検索しても、1970年代より前の記事は驚くほどヒットしない。デジタル化が十分ではないという問題もあるだろうが、比較的精度が高い朝日・読売のデータベースでも同様だった。
そこで、さまざまな文献をひとつひとつ確認していくと、1973年8月15日の読売新聞に、「異風堂々 靖国参り」という写真記事があった。その説明にいわく――。
「終戦記念日の15日、参拝者でにぎわう東京・靖国神社で軍服姿にサーベルを下げ、日の丸を掲げて“行進”する一人のお年寄り――。ニヤッとふり返る参拝者に気もとめず、真剣そのものの顔は、28年前の“あの時”を思い出しているようだった」。
小野田寛郎は「黒い背広に黒ネクタイ」だった
たしかに掲示された写真には、開襟の防暑衣らしきものを着た男性の姿が写っている。
注目すべきは、ここで参拝者が「ニヤッ」としたところだろう。そのころは、まだ軍服での参拝が珍しかったのではないだろうか。
少なくとも、「旧軍人ならば軍装で参拝」という常識はなかった。たとえば、1974年にフィリピンより帰国した小野田寛郎は、「黒い背広に黒ネクタイ」で靖国神社に参拝している(朝日新聞、1974年4月1日)。