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声を出すことなくゆっくりと腰を上げる

 両親は正座して、「このままではどうにもならないよ」と説得を繰り返したが、宗太さんは一言も発することはない。黙々と、アジの干物に箸をつけている。

 どのくらい時間が経っただろう。休憩タイムを挟んで、今度は村上さんが説得に入った。その間に、両親は宗太さんの身の回りのものを車に積んだ。

 3時間が経ったころ、ようやく宗太さんは重い腰を上げた。長く伸びた髪をハサミで切り、髭を剃り始めたのだ。

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 宗太さんは、村上さんと父親に付き添われて出て行った。最後まで、ひと言も言葉を発することはなかった。

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 このときのことを、宗太さんはのちにこう振り返っている。

「親と村上さんが強引に部屋に入ってきて、何が起こったのかわからない状態だった。話の内容はほとんど覚えていないけれど、どうやら僕に一人暮らしをさせようとしているのがわかった。しばらく無視を続けていたけれど、そのうちだんだん面倒くさくなって、このまま出て行ったほうがラクかと思うようになった。村上さんの『行こう』という言葉に反応して家を出た。結果的に僕にとっては、『強引に』というのと『訳もわからず』というのがよかった。もしあのサポート訪問がなかったら、10年くらい引きこもりをしていたと思う」

自殺でもしたらどうしよう……

 こうして、1年2カ月の引きこもりは終わった。

 雅子さんは、年老いた母と一緒に、涙を流しながら息子を見送った。久しぶりに見た息子がどんな顔をしていたのか、どんな言葉をかけたのか、今ではよく覚えていないという。

 宗太さんの部屋には、ゴミが散乱して荒れ果てていた。雅子さんは掃除をしながら、「よくも1年2カ月もの長い間、この部屋で暮らしていたものだ」と、ただただ涙がこぼれた。息子がやっと外に出られたという安心感と、これから先の不安が入りまじった気持ちだった。

 ただ、村上さんは信用できる人だと確信していた。「この選択が正しいものであるように」と、祈るような気持ちだった。

 付き添って行った父親は、すぐには息子を置いて帰ることができなかった。「万一、自殺でもしたらどうしよう」と不安でたまらなかったのだ。センターに泊めてもらったり、近くのホテルに泊まったりして、数日息子の様子を見守った。