2019年時点での国内の引きこもりの総計は推定100万人以上。実に国民のうちおよそ1%が引きこもり状態になっている。家族が、友人が、はたまた自分自身が……何かしらのきっかけで引きこもりになってしまう可能性は0ではない。
ここでは臼井美伸氏の著書『「大人の引きこもり」見えない息子と暮らした母親たち』より、大学受験・就職活動の失敗を経て引きこもり状態となってしまった青年が、家族との絆を回復するための第一歩をどのように踏み出したのかについて紹介する。
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僕は就職無理なんや!
俊英さんは、高校3年生になり大学受験をした。しかしもう一歩というところで、希望の大学には受からなかった。
「来年もう1回受ける」ということで、予備校に通うことにした。
高校でも予備校でも、友だちはできなかった。小学校時代の友人や近所の友人とも、付き合いがなくなっていた。
ただ予備校と家を往復し、勉強するだけの日々。俊英さんは、とにかく勉強に励んだ。
1年後、俊英さんは受けた大学に全て合格した。先生もびっくりするほどの結果だった。
「嬉しかったですねー。これをきっかけに、自分で動き出してくれるかなと期待しました」(世津子さん)。
大学ではサークルに入ることもなく、バイトもしなかったが、俊英さんは授業をさぼることなく毎日通った。勉強が好きだった。
そして相変わらず「周りの子が遊んでばかりで全然勉強しない」といつも怒っていた。
しかし俊英さんは、ゼミに入ることができなかった。なるべく人数の少ないゼミを選ぼうとしたのが仇となり、俊英さん以外に希望者がいなかったため、そのゼミがなくなってしまったのだ。
4年になると俊英さんも就職活動に挑んだが、なかなか難しかった。コミュニケーションが苦手なので、面接がうまくいかないのだ。
「僕はサークルもアルバイトも何もしてないから、あかんかったんや」
結局、就職先が決まらないまま、大学を卒業した。
それからも俊英さんは、ハローワークに行くなどして、なんとか就職先を探そうと頑張っていた。
しかし1年くらい経ったころ、突然キレるようにこう言った。
「やめた! 無駄やー。僕は就職無理なんや!」
ドアを開けっぱなしの引きこもり
俊英さんは、家に引きこもるようになった。
世津子さんは、あちこちに相談に行った。相談先では、「本人を連れてきてほしい」と言われるが、俊英さんは頑として行こうとしない。
「もうちょっと待って」と言われているうちに、5年が経った。
ときどき世津子さんが、「俊くん、この先どうするつもり? そろそろ考えな」と言うと、「母さん、言わんでくれ。その言葉が僕には一番辛いんや」と言う。
「もうそろそろ動かんと」と言うたびに、「わかってる」という言葉が返ってくる。「この家を出たいんや、一人暮らしをする」と口では言っていたが、行動することはなかった。
俊英さんの引きこもり方は、一般的な例とは少し違うものだった。
何より変わっていたのが、「常に部屋のドアを開け放している」ことだ。