家族との関係を保ちながら引きこもる
引きこもりの人は、部屋にこもって家族に姿を見せなくなることが多い。部屋の中からカギをかけたり、カギがない場合はほうきを突っかい棒にしたり、家具をバリケード代わりにして閉じこもる人もいる。しかし俊英さんは、家族といつもつながっていたいようだった。
やがて祖母が亡くなると、2階から1階の祖母が使っていた部屋に引っ越してきた。ダイニングに隣接していて、父や母の姿を見ながら過ごせる部屋だ。
食事も、家族と一緒に3食きちんととる。
「食事だけはちゃんとするんですよ。ケンカした後でも、『俊くんご飯食べようー』と言うと、ブスっとしたまま出てくるの」(世津子さん)。
こづかいは与えていなかったが、お年玉などを貯めたお金で出かけることもよくあった。
理髪店には行かず、自分で髪を切っていた。洋服は、母が買ってくるものを着た。
会話の相手になってくれて、食事も用意してくれる優しい両親のもとで、俊英さんは安心して引きこもることができた。後で思えば、まだ平和な日々だった。
地獄の始まり
引きこもりが9年目に入るころから、俊英さんはだんだんと荒れるようになった。興奮すると、手がつけられなくなる。
ものを投げたり、食べ物を投げたりする。ガラスを殴って手に大ケガをしたこともある。2階から外にものを投げることもあった。
暑い日に、クーラーもない部屋でふとんをかぶって出てこなくなったこともある。
「そんなことしてたら病気になるよ」と言うと、「僕は病気になる」と答えたという。暑さで意識がもうろうとして、熱中症一歩手前になってしまった。
父親に当たることも多かった。
第三者のほうがいいかもしれないと、世津子さんの兄に来てもらい、説得してもらおうとしたこともある。しかし俊英さんは激高して「おじさんあっちいけー」と怒鳴るだけだった。
伯父が帰った後、「なんでおじさんを呼んだんや」「あのおじさんは頭がおかしい!」と怒り狂った。
次第に俊英さんは、近所の音に敏感になった。
三上さんの家のそばには駐車場がある。そこに車が出入りするときに、敷いてある鉄板の音が大きく響くのが、気に入らないという。
車が出入りするたび、窓を開けて「うるさいー!」と大声で怒鳴った。
「そんな声を出しちゃダメ」とたしなめても、「向こうが悪いんや。これまであの音にどんだけ苦しめられてがまんしてきたか、わからんのか!」と言う。
ゴミの収集場で立ち話をしている近所のおばさんたちの声にも、いら立った。「くだらんことばっかり話しとる。お母さんだって何を言われとるかわからんぞ」。被害妄想も出てきたようだった。
突然に「うわーっ!!」という大声を出すことも、しばしばだった。
世津子さんは、駐車場の持ち主に連絡をした。「あの鉄板の音、何とかなりませんか」。すぐに、音が鳴らないように処置をしてくれた。