夫も反対だった。「そんなところはダメだ」
世津子さんは、一生懸命夫を説得した。Aさんも、世津子さんと一緒になって夫を説得してくれた。
ついに、世津子さんは「若者教育支援センター」に電話をかけた。
「うちの子を、そちらで預かってください」
車の中で荷造り
しかしタイミングは最悪だった。
東京都練馬区で、元農林水産事務次官が44歳の引きこもりの息子を刺殺する事件が起こったばかり。「若者教育支援センター」にも全国から相談が殺到して、対応に追われていたところだったのだ。
とても、すぐにサポートをしてくれそうにはない。「待っていてください」と言われ、連絡を待ちながら過ごす日々が続いた。
しばらくして、突然センターから電話があった。「お母さん、今から東京に来られますか」
「え、今すぐ?」
事務局までは、新幹線を使っても3時間くらいかかる。急に仕事を休むと、周りに迷惑をかけることになる。でも、そんなことは言っていられない。夫婦ですぐに上京した。
まずは精神科医と面接をし、次に代表の広岡さんのカウンセリングを受けた。
できるだけ早く俊英さんを家から出し、寮で生活させようと、方針が決まった。
俊英さんは以前から、訪問サポートを受けることに大きな抵抗があるようだった。事前に伝えると、反発して荒れるかもしれない。夫婦は、スタッフの訪問を俊英さんには告げないことにして、注意深く準備を進めた。
大きなスーパーで、着替えや生活用品を買いそろえた。しかし家に持って帰るとバレてしまう。いつも通っている八幡様のところに車を停めて、二人でせっせと洋服のラベルを外し、荷造りをした。荷物はこっそり裏口から家に入れて、見つからないように用心深く隠した。
いよいよ、訪問サポートの日。「どうして今日は仕事に行かないの」と俊英さんに聞かれたが、「体調悪いから休んだよ」と世津子さんはごまかした。実際、世津子さんはそのころ睡眠障害で精神科に通っていたのだ。
訪問サポートの開始
昼ごろ、広岡さんが2人のスタッフを連れてきた。世津子さんが俊英さんに説明をすると、俊英さんの表情が変わった。舌打ちして、激しく怒り出した。
「お母さん、部屋から出てください」と言われ、世津子さんは別の部屋に移った。
ドアの向こうから、広岡さんたちが穏やかに説得している声が聞こえてきたが、俊英さんはなかなかうんと言わないようだ。
1時間くらい経ったころ、スタッフから世津子さんの携帯に電話があった。「俊英さんが車に乗りました。これから出発します」
あっけない別れだった。
「『やっと出た』と思いました。寂しくはなかったです。本人が苦しんでいるのはわかっていて、どうにかしてやりたいと思っていましたから」(世津子さん)。