腫れものに触るように過ごす日々
最初のころ宗太さんは、ときどき部屋から出てきて家族に姿を見せていた。家族と一緒に食事をすることはなかったが、雅子さんが食事を作って声をかけると、自分で部屋まで運んで食べていた。
それが、だんだん姿を見せなくなった。部屋の戸に内側から突っかい棒をして、開けられないようにしている。呼びかけても何の反応もない。
雅子さんは仕方なく、食事を宗太さんの部屋の前に置くようになった。「あの子のいいようにさせてあげよう」
宗太さんはいつの間にか食べて、食器を外に出している。入浴などは、家族が寝静まった深夜にしているらしい。一切、姿を見ることはなくなった。
「何度となく声をかけたのですが、何の反応もありませんでした。世の中にも親にも、絶望していたんだと思います」(雅子さん)。
我が子が引きこもりになるとは思いもしなかった
雅子さんも「引きこもり」という言葉は知っていたが、まさか自分の子どもがそうなるとは思ってもみなかった。
どう対応していいのかわからない。夫婦は頭を抱えた。
下手に刺激して何かあってはいけないと、腫れものに触るような感じだった。
保健所や様々な機関に電話をかけたり、訪ねて行って相談した。しかし、どこもまともに取り合ってくれないと感じた。
昔から、父親と息子との関係はあまりよくなかった。以前叱られたときに何か言われたことが気に入らなかったのだろうと、雅子さんは感じている。
雅子さんも宗太さんと同じ一人っ子で、相談できるきょうだいがいない。年老いた母親以外に近い肉親と呼べるのは、遠くに住んでいるいとこの女性だけだった。息子は彼女を「おばさん」と呼んで、小さいころは慕っていた。
彼女に家に来てもらい、説得してもらったこともある。
「宗太君はどうしたいの?」と聞くと、「車を買ってもらいたい。それを使って職探しをしたい」と答えたという。
両親はそれを聞いて、すぐに中古車を買い与えた。しかし結局、宗太さんがそれに乗ることは一度もなかった。車は、また引き取ってもらうことになった。
近所の人や美容院のお客さんには、息子が引きこもって家にいることは言わず、「就職して一人暮らしをしている」と話していた。仲のいい友人にも、ずっと長いこと言えなかった。
そんなふうにして、1年ほどが過ぎていった。