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 村上さんも、「結局ここでもカギをかけて、出てこなくなるのではないか」と心配だったが、翌日インターホンを鳴らすと、カギを開けて無言で迎えてくれたので、ホッとした。

 3日後、センターが主催した「鍋の会」に、宗太さんが現れた。村上さんはホッと胸をなでおろした。父親も、大変な喜びようだった。

 しかし宗太さんは、全くと言っていいほどしゃべらなかった。問いかけると、消え入りそうな小さな声で答えるのがやっとだった。

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両親がいても知らん顔

 アパートで一人暮らしをするようになってからは、歩いて3分のセンターに、「毎日通うこと」を約束させられていた。

 宗太さんは、毎日決められた時間にきちんと顔を見せた。

 両親はときどきアパートに行き、何か差し入れをしたり、声をかけたりしたが、会話は相変わらずなかった。

 月1回、「親の会」が開かれるのだが、宗太さんは両親の姿に気がつくと帰ってしまうこともあった。または、そこにいても知らん顔で、呼びかけても反応はなかったという。

 それでも徐々に「明るくなってきた」「こちらに心を開いてくれるようになった」と雅子さんは感じていた。

©iStock.com

 宗太さんは会のサポートを受けながらボランティア活動に参加したり、パソコン修理の仕事をするための資格を取ったりした。

 村上さんはそんな宗太さんを、優しい中にも厳しい言葉で辛抱強く見守った。妻の美智子さんは、母親のように温かく世話をした。

変わりはじめた両親への態度

「真面目で、言ったことをきちんとやってくれる。会計の仕事に興味があるということで、経理を担当してもらったのですが、彼に任せると間違いないと夫も太鼓判を押していました」(美智子さん)。

 そのうち徐々に、宗太さんの両親に対しての態度も変わっていった。

 祖母が入院したときには見舞いに来てくれたし、亡くなったときは葬式にも帰ってきた。用事がないときに自分から実家に戻ってくることはなかったが、会話もできるようになった。