昼時になれば、近所の工事現場で働く作業員から学生までが新聞やマンガを片手にラーメンをすすり、夜にはサラリーマンや家族連れが訪れる。自家製のラー油をつけて味わうギョウザも、注文が入ってからひとつずつ包む手間のかかったもので、ビールと一緒に幸せそうに頬張り、一日の疲れを癒やす常連も多かった。
甲立さんは学生時代、図書館までの道のりにあったラーメン店をめぐるうち、この世界を志した。開業前には当時のラーメン店を夫婦で何軒も回り、カウンターの高さや色味を比べて『ターキー』の内装に生かした。
「いまでこそ地下鉄ができて都会っぽくなったけど、それでもお客さんはこんな住宅地の中まで、わざわざうちの店をめがけて来るんだもの。何より『旨い』ってお客さんに言ってもらえるのが一番嬉しいことだよ」
複雑高度化する近年のラーメン業界
ラーメン業界は日々、新しいうねりが起きている。
化学調味料を使わないのは当たり前。フレンチやイタリアンのレストランでしか使わなかったような、銘柄鶏やブランド豚、あるいは割烹が使う高級な昆布や魚節などを惜しげもなく大量に使う。
さらには、中国料理の「上湯」やフレンチの「フォン」「ブイヨン」などの手法も取り入れて、スープを作る工程も複雑になっている。麺の小麦ひとつとっても、オリジナルの配合でブレンドしてそのスープに合った麺を作る。昔ながらのラーメンと較べると、今のラーメンは料理としてのレベルが格段に上がっているのだ。
歴史が浅いからこそ国民食になった
こうした進化のスピードの速さは、ラーメンの「出自」とも大きく関わっている。
ファミリーレストランなどまだ無かった戦後から高度成長期の我が国で、庶民が日常遣い出来る外食と言えば、うどんか蕎麦、そして中華かラーメンしかなかった。
江戸時代にはほぼ今の形が確立されたとされるうどんや蕎麦と比べると、ラーメンはまだ100年ほどと歴史が浅い料理だ。それゆえ、型にはまることがなく作り手の思ったままに作ることが出来る「自由」があった。ラーメンが国民食と呼ばれるほどの人気を博した背景には、その自由から生まれた「多様性」があることは間違いない。
型が無かったからこそ、ラーメンは戦後最も劇的に進化を遂げた料理になり、ラーメンブームの到来によって、その進化のスピードは著しく加速した。まるでファッションのように毎年新しいトレンドが生まれ、作り手も食べ手もそのトレンドを追いかける。数年前に流行ったラーメンはもう古いのだ。
「ラーメン大国ニッポン」に漂う“寂しさと不安”
しかし「古い」は悪い意味とは限らない。たとえば、『ターキー』のラーメンには、世の中の潮流などに振り回されることなく、ただひたすら毎日同じものを作り続けてたどり着いた「説得力」があった。伝統ある店の存在が、ラーメンが国民食たるゆえんの「幅の広さ」を示している。
高級食材を惜しげもなく使ったり、今までにない製法を用いる昨今のラーメンの風潮を否定するつもりはまったくない。ただ、跡継ぎがなく廃業したり、店舗の老朽化によって継続が困難になる店が年々増えていることに、私は一抹の寂しさと不安を覚えずにはいられない。
かつて飲食店に限らず、仕事のほとんどは「家業」だった。しかし、戦後になって価値観は変わり、薄利多売できつい労働を強いられることから、「家業としてのラーメン店」は減っていった。一方で、ラーメンをビジネスとして捉えて、より効率的により収益性の高いラーメンを作る「企業としてのラーメン店」が生まれた。
結果、どこにでもあるような食材を使って長年の経験と技術によって美味しく仕上げた、職人の仕事を感じられるラーメンが日に日に少なくなっているのは寂しい限りだ。