「強い女性像」へと転換したのはガールグループ自身の音楽
ここでK-POPにおける女性アイドルの系譜を簡単に振り返ってみよう。90年代に「観る音楽」「ラップ」「アイドル」「ファンダム」とともに再編された韓国のポピュラー音楽が「K-POP」と呼ばれはじめたのは2000年代に入ってからだった。今年で日本デビュー20周年を迎えたBoAがアルバム『LISTEN TO MY HEART』でオリコンチャート1位を占めるなど、アジアでK-POPの市場が急速に成長した頃のことである。
その後K-POPは、その音楽的スタイルとメディア的特徴を拡張させ、「J-POP」との相対的な位置付けから脱却し、デジタル化に相応しい独自の音楽市場を構築していった。そして2010年代に入ると、K-POPに対する欧米のメディアや音楽業界の関心が本格化した。2012年には、PSYの「江南スタイル」がYouTubeを通じてグローバルな音楽・メディア現象となり、オックスフォード英語辞典には「K-POP」という項目が加えられた。
『ビルボード』をはじめ、その頃から欧米のメインストリームもK-POPのための誌面を増やしていった。しかし当時としては、なぜ世界中の若者がK-POPに熱狂するのかと、理解に苦しむ欧米の論者も少なくなかった。K-POPアイドルのポップ音楽としての力を評価しながらも「ファクトリー・ガールズ(Factory Girls)」という見だしを付けた2012年の『ニューヨーカー』誌の記事は、その代表的な事例だったといえる。
もちろん男性アイドルにも国内外から「アイドル」への厳しい偏見が向けられていた。しかし男性アイドルと比べて強力なファンダムを保有できなかった当時のガールグループにとって、ミュージシャンとしての個性や能力を主張する機会を持つことはより困難なことだった。当然グループの寿命もはるかに短かった。つまりガールグループには、「アイドル」と「女性アーティスト」という二つの偏見と壁が向けられていたのである。
興味深いことにそのようなまなざしを覆したのは、ガールグループ自身の音楽だった。少女時代の「The Boys」、f(x)の「Electric Shock」、Brown Eyed Girlsの「Abracadabra」など、強烈なサウンドと挑戦的な歌詞の歌とラップ、果敢なファッションとダンス、メッセージ性の強いミュージックビデオは、それまでK-POPガールグループに固定されていたイメージを「カワイイ女性像」から「強い女性像」へと転換させた。J-POPアイドルとの差異も、そこでより明確になった。
すると、世界中の「女性ファン」たちが反応した。記憶に新しいが、日本においても2010年頃にはじまったいわゆる「第2次韓流ブーム」を主導したのは、女性アイドルの「カッコよさ」に熱狂した若い女性たちだった。ガールグループによるその動きは、アジア音楽に対して偏見を持っていた欧米の音楽業界とマスメディアにおいても、K-POP の存在感と影響力を高めた決定的な要因のひとつとして作用した。