放置されて生命の危険
また証人の医療技師のひとりも、インスリンの大量投与による自殺例が一般に周知されているかと聞かれ、『医学系の専門誌に載る程度の話で一般患者はそうした情報に接する機会はない』と答えている」
さらに、その技師は、こうも証言していると弁護側は指摘。
「インスリンは、打たれたときの患者の状態、つまり食後、体の中に十分糖質の貯蔵がある状態か、そうでないのか、大きい体か、小さい方か、打たれたあと、適切な処置が行われるまでの時間によって、まったく結果が異なってくる。例えば1000単位(通常の糖尿病患者に対するインスリン投与量は成人で1日2回で1回4単位から多い人でも20単位程度)、2000単位というとんでもない量を注射しても、比較的早期に発見されて適切な治療が行われれば、救命は十分可能だ。しかし、たとえ100単位程度の量でも、注射をされたあと、長時間にわたって放置されて適切な治療が行われなければ生命の危険がでてくる。それぐらい極端に幅のあるもの。致死量というものを一般の毒物のように設定することはできない」
また、別の医者は、その「放置されて生命の危険」という状態をこう説明している。
「呼吸中枢が止まってしまうということを考えれば2日くらいでしょうか。何もしないで、何も摂取できないという状態であれば、もう少し長いかと思います。ただ、これは推測で何ともいえません」
こうした流れから、弁護団はインスリンを過剰に投与した場合、適切な処置をせずに放置した時間が長ければ長いほど脳障害、死亡の可能性が高くなるが、そんな危険性は社会一般にはまったく認知されていない、とする。したがって、インスリンの致死性が糖尿病患者、家族に普通に認識されていたという判決は事実誤認もはなはだしい。誰もが少しは注意するが、そんな恐ろしいクスリという認識は一般人、患者、家族にもない。
したがって久美子も夫という糖尿病患者の家族を通し致死性、危険性を認識していたとする一審判決は誤りだ、とし、こう続ける。
「久美子の捜査段階の供述調書では大変危険なクスリだという認識があった、とされている。