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2021/02/01

source : 文春文庫

genre : ライフ, ライフスタイル, ヘルス, 読書

―と、書きつつ、私は、「……と思った」「……と感じた」と書いただけでは人は納得しないだろうなあ、と思って無力感を覚える。なにいってるのさ、と人はいうだけだろう。だが私には「思った」「感じた」としか書けないのだ。それ以上に何の実証も私にはできないのだ。

 霊媒体質の者がそうでない人から「うさん臭い奴」と思われるのはそういう点である。だがこれが同じ体質の者同士であれば、

「ああ、それは川上さんですね。パワーがあったのねえ、川上さんは」

 スムーズに話が通る。

「そう思った」「そう感じた」ということが、単なる主観ではなく、事実として認められる。病室の天井の右の方に川上さんがいるのを感じたといえば、

「ああ、そうでしょう」

 何のためらいもなく頷いてくれるのである。

墓参での“ある”出来事

 川上さんの死後、三年目の命日に私は川上さんの墓参をした。丁度秋雨の降る日だったが、

「川上さん、来たわよう……」

 といって雑草を抜き、傘を肩にひっかけて墓前にしゃがんで手を合わせた途端、何が何やらわからぬままに私は泣いていたのである。何が悲しいのか、自分でもわからずに泣いている。シクシク泣く、なんてものじゃない。肩を震わせて泣いているのだが、泣くことが何だかとても気持がいいのだ。

 ひとしきりそうして泣いていて、突然、ピタリと止った。同行の人は呆気にとられて、そんな私を見守るばかり。

 川上さんが私に憑依したのだ―。私はそう思った。川上さんはあの世で寂しいのか。もともと寂しがりやだったから、寂しくてたまらなかったところへ私が現れたのを見て、嬉しくてあるいは寂しさを伝えようとして、憑依したのにちがいない。さる霊能者はその通りでしょう、といい、私は今もそう思いつづけている。

「私は感じたのだ」

 しかしこのことも、私がそう思うだけで、人を説得する何の証拠もないのである。何も悲しいことがないのに泣く筈がない。佐藤さんの理性に抑えられて潜在していた悲しみが、その時れ出てきたのだと心理学者はいうだろう。それに対して私はあえて反論しない。反論するための論拠が私にはない。「私はそう感じたのだ」という以外にどんな言葉も見つからないのである。

直木賞受賞時の佐藤愛子さん ©文藝春秋

 霊能者宜保愛子さんが物理学者の大槻教授の批判攻撃を浴びながら沈黙していることで、宜保さんはなぜ大槻教授と論争の場を持たないのか、と批判する人たちがいる。しかし物理学者と霊能者が対決したところで、所は平行線であること(そもそもスタート地点が違うこと)が宜保さんにはわかっているのだろう。

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