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連載昭和事件史

2021/01/31

 さらに早稲田署柳町派出所談として次のような記述も。

「昨年8月以来、産院の付近の人々から、あそこの産院では夏なのに赤ちゃんを一度も入浴させず、蚊がいるのに裸のまま床の間にごろりと転がしっぱなしで、赤ちゃんは一日中泣き叫んでいる。そのうえ、死んでもお経一つあげているところを見たことも聞いたこともない。そんなくらいなら、高い新聞広告料を出して赤ちゃんをもらい集めることはないでしょう、などという注意が再三、再四ありました」

「生き残っているわが子を抱いて泣く母親」

 1月17日付では朝日が「子を取りもどす母親 死児も寝床に魔の産院」の見出しに「生き残っているわが子を抱いて泣く母親」の説明が付いた写真を載せ、詳しくルポしている。

事件を知った母親が寿産院に駆け付け、生き残ったわが子を抱いた(「画報近代百年史第18集」より)

“もらい子殺し”が伝えられた16日、壽産院と警察には子を預けた母親たちがびっくりして駆け付けた。横浜市港北区、喫茶店経営某女(27)は壽産院に来て、押し止められるのを構わず2階に上る。火の気もない破れ障子の3畳の部屋。竹製のベッドに8つの頭が並んでいる。左から3人目がさる11日に預けたばかりの赤ん坊だ。わっと泣いてかき抱いた。オッパイをやろうとしたが、赤ん坊は飲まない。飲み方を忘れたのだと女はますます激しく泣き、オデキのできた赤ん坊の頭をなでた。右端(写真の一番奥)にガーゼをかむって寝ている子は、15日に死んだばかりの死体だと聞かされてビックリ。「ここには一時も置けない」と子どもを抱いて横浜へ引き揚げたが、同女は語る。「男には捨てられ、親元には帰れず、私は新聞広告でこの産院を知り、6000円の預け賃を出してこの子の処理を頼んだのです」。京橋区湊町、某女(27)は一昨年5月、産院の世話で養子に出した女の子の生死が心配だと警察へ泣き込んできた。また、新宿区、画家・某男(37)。「僕の場合は正妻の間に生まれた正しい子だが、死んだ子の骨がどこへ処理されたか、それを聞きたい」と言う。

 この壽産院の死体は餓死と診断されたのが多いにもかかわらず、同家からはミルク10ポンド(約4.5キロ)、砂糖1貫500匁(約5.6キロ)、米1斗5升(約22.5キロ)が押収され、また夫婦は「良心的にやっていた」「慈善事業だ」と述べているが、「子どもが死ぬと葬儀酒が2本来る。1本をヤミに流して1本をワシがいただく」と夫の猛が付近の薬局で語った事実もあるという。また、産院にはさほどの設備もないのに大々的に新聞広告を出していた点、夫が無職で、産院だけの収入で最近は目立つほどのぜいたくをしていた点、みゆきが区会議員選挙に立候補した点にも疑問を持たれている。