1月18日には、寿産院の産婆助手の女と死亡診断書を書いていた医師も検挙された。

 19日付毎日にはこんな記事も。「石川夫婦への世間の親たちの憤りは激しく、18日夜、早稲田署を訪れ『石川夫婦はどんな顔をしているか』と面会を求め、いま食事中だからと言うと、『赤ん坊にはミルクも与えなかった鬼夫婦にめしなど絶対にやらんでください』と憤慨する人や、『不幸な赤ちゃんたちが気の毒だ』と、滋養糖1缶に500円を添えて置いていく婦人など、この事件の反響は大きい」。

 1月20日付朝日はベタ(1段)記事だが「おしめや著(着)物まで横領 鬼畜の石川夫婦」の見出し。寿産院付近の家を家宅捜索した結果、「隠していた『おしめ』を行李(こうり)1個、赤ん坊の着物を行李1個、茶箱に1個、『おぶい』、半纏(はんてん)など大包み2個を押収した。いずれも親たちが子どものため届けたのを横領したもので、証人の言によれば、このほか、りっぱなおしめは継ぎ合わせて入院患者のふとんにしていたという」と書いている。

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「わが子の安否を尋ねて駆け付けた生みの親はまだ2、3名である」

 事件が社会に与えた影響の大きさを表すように、1月20日付毎日は社説で「産院事件の教えるもの」を取り上げた。

「怪事件」に新聞報道も過熱した(毎日)

 約1年間に多数の乳児が預けられ死亡したのに「わが子の安否を尋ねて駆け付けた生みの親はまだ2、3名である。これは悲しき当然であろう」としてこう述べた。「一時預けをしたつもりの親もあろうが、大部分は生みたくない子、育てるあてのない子であろう。金でわが子の縁を切ってホッとした親たちであろう。悲劇はここにある。問題の解釈はここから出発すべきだ」。

 法律と行政の不備を指摘。当時の実情を吐露している。「学者の推定によると、許され得ると予想される日本の生産力では、それがフルに回転しても5千万の人間を養うことが精いっぱいだという。出生率は戦時中の4割増しになった。死亡率は減った。この調子では昭和30(1955)年には1億人になるという。生まれた子どもは育てねばならぬ。ここに大きな問題が横たわる」。

石油缶の白米の中から見つかった「幼児の骨つぼ」

 毎日2面には、家宅捜索で「石油缶に入れた白米3斗と、その白米の中から骨つぼに入った幼児の遺骨1体も現れ、その悪辣(らつ)な手口が次々と暴露されてきた。この遺骨は、身の危険を悟り、にわかに隠匿したものらしく、知名人の子どもの遺骨らしいとみられている」との記事も。

新聞は石川夫婦のもらい子のこともニュースにした(読売)

 同じ日付の読売は、石川夫婦のもらい子3人のことを伝えている。その1人で小学4年生の澄子という女の子は「一家の前途に小さな胸を震わせながら、三度三度弁当を作って早稲田署の両親のもとへ運んでいる。石川夫婦には反感を持っている近所の人々も、同じもらい子の澄子ちゃんが鬼畜とののしられる養父母たちに寄せる気持ちには涙をさそわれている」と記し、澄子が「差入れのオカズに卵焼きを作る」写真を添えている。