幼い生命の悲惨な抗議
まず第一に考えられることは、この事件が現代の世相の一端を最も端的に表現しているということである。
それはまず第一に、乳児を育てるのには配給だけでは死ぬということであって、これは大人の場合もそうであるが、いまの配給生活では生きていかれないということの最も残酷な一実例ともいえるのである。すなわち、正規の配給による乳児に対するミルクは、1カ月に450グラム入り2缶で、これではまず乳児を死亡させることになる。少なくともこれを殺さずに発育させるためには450グラム缶が毎月8缶から10缶は絶対に必要である。したがって、仮に石川夫妻に殺意がなかったとしても、彼らが国家が乳児に対して保証している配給量を忠実に守ってヤミのミルクを買わなければ、自然に乳児は死んでいくということになり、この場合に、無心の乳児を殺す者が石川夫妻であるか国家であるかということは1つの問題であろう。
乳児に対して最低の配給さえも保証できない配給制度に対しては、相手が生活力の非常に弱い乳幼児であるために、今度の事件を通して再考の必要があると思う。
今度の問題も石川夫妻をばかりののしってすむ問題ではなさそうである。
時事解説は国の責任に続いて、国民の道義などについて筆を進める。
第二に問題としなければならないのは、敗戦後の世相を反映して、これまで「子どもを生ませる」のが産院の任務であったのが、「生まれた子どもを預かる」ことまで産院で引き受けるようになった状態である。
産院に預けられる幼児のほとんどが、いわゆる道ならぬ結果の子なのである。したがって、今度の問題の根元は、このような子どもが増加してきたという道義の低下であって、その根本的な解決は敗戦後の堕落した風紀の向上であり、性教育の徹底であり、女性の自覚であるということになるが、これらの問題は一朝一夕に改められるものでもないであろうし、また、その基盤は生活の安定ということになるのであろうから、さしあたりは、これら日陰の子らを無事に育てるための国家的機関の確立ということが問題になると思う。
第三に問題としなければならないのは、これら特殊産院を取り締まるしっかりした法規もなく、これまで放任しておいて、今度のような大事件を生じたのは一つに国家の怠慢であって、この1月から実施された児童福祉法に基づく児童委員なり児童福祉司なりを早く任命して、一日も早く今後このような事件が生じないようにしなければならぬと思う。
時事解説によれば、寿産院のような施設は、戦時中に政府が“日陰の子”が闇に葬られるのを防ぐために黙認したのだという。戦後利用者が増加したのに、政府が何も保護しないため経営難に。そのことも事件の引き金になったとし、最後にこう述べている。
要するに、今度の「寿産院事件」は、ヤミの世にヤミからヤミに生まれ、ヤミに葬られていた幾多の幼い生命の、世間に対する事実をもってする無言の、しかも悲惨にして厳重な抗議なのである。
【参考文献】
▽「警視庁史昭和中編(上)」 警視庁史編さん委員会 1978年
▽菊池敬一・大牟羅良・編「あの人は帰ってこなかった」 岩波新書 1964年
▽もろさわようこ「おんなの戦後史」 未来社 1971年
▽久武綾子ら「家族データブック」 有斐閣 1997年