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連載昭和事件史

家宅捜索では石油缶の中から「幼児の骨つぼ」が…それでも犯人が「親と私、どっちがひどいんですか」といった理由

家宅捜索では石油缶の中から「幼児の骨つぼ」が…それでも犯人が「親と私、どっちがひどいんですか」といった理由

――“最低でも85人の乳児を殺した”「寿産院事件」 #2

2021/01/31
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「もらい子殺しは誰の罪か」

 1月21日付朝日は「『血の通わぬ』お役所仕事 もらい子殺しは誰の罪か」という検証記事を掲載。関連した人たちの責任を問うた。

1.寿産院に雇われた助産婦は十数人に上るが、保育態度に驚いて、いずれも1カ月以内に逃げ出している。数名は口をそろえて「ひどい産婆だ」「子どもを殺そうとしていた」と申し立てている

2.死亡診断書を書いた医師は、産院から診察を受けにきた子どもが全部手遅れで、1回の投薬さえもしたことがない。再三注意したが改めなかったと言っている

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3.入院した女性たちも、手当のやり方やもらい子の保育の様子を見て「鬼産婆だ」とうわさし合い、回復期に逃げ出した者もあった

4.受け持ちの神楽坂警察柳町交番巡査は、内情を耳にしていて、訴え出た入院女性に「あれはひどい産院だ。よく入院したものだ」と言っていた

5.103人の死亡届を受け付け、埋葬許可証を出した新宿区役所衛生課は「こんなに死亡があるのはおかしいとは思った」と言っている

6.経済課も死亡1人につき葬儀用特配酒2升の切符を発行。怪しみながらも「書類がそろっているから問題なく出した」と言っている

 そして、朝日の記事はこう問い掛けている。

 寿産院のもらい子事件は、取り調べが進むにつれて多くの社会問題を開示している。まず103名の多数の不幸な子を死なせるまでこれを知らなかった警察はもとより、日頃こんな残虐な事実を聞いたり目撃したりしていた付近住民―入院産婦―医師―産婆助手―区役所などのとっていた態度、特に公僕としての警察や区役所の「血の通わぬ」仕事ぶりが世評に上ってきたことは注目される。このように、ことの残虐の度を増大させる結果となったこれらの人々の無責任がうやむやに葬られてよいものだろうか。

「毎日死ぬので何とも思わなくなった」

 1月22日付読売で石川ミユキは「記者団の問いに対しこう筆談した」。

石川ミユキ(「週刊朝日」1948年2月8日号より)

問 社会に大きな影響を与えているが、あなたの心境は?
答 犯した罪のつぐないのためには、たとえ死刑にされても恨みません
問 なぜ十分食事を与えなかったのか?
答 私の与えた食事では子どもたちは死んでしまうことはよく分かっていました。ただ、後の補給に目当てのないため、量を減らした
問 次々と死んでいくのを見て何とも思わなかったか?
答 はじめのうちは恐ろしかったが、毎日のように死んでいくのを見ているうちに、だんだん慣れて別に何とも思わなくなった