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オウム裁判で下された「誰も殺していない男」の死刑判決 その運命の分かれ道

『私が見た21の死刑判決』より#29

2021/03/06

source : 文春新書

genre : ニュース, 社会, 読書

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誰も殺していない男と2人殺した男

 地下鉄サリン事件は、いうなれば東京を舞台にした同時多発テロだった。5人の実行犯が同時に行動を起こして、当初の目的が遂行される。彼らを乗降駅まで送迎した車の運転手役も、重要な役割を担った。1人が欠けても、計画は結実しない。だから、事件に参画したものは、同じ責任を負う。計画立案した者、化学兵器サリンを作った者、すべてが「共謀共同正犯」として、5路線で12人が死亡したことに、みんな同じ刑事責任を負うことになる。

 ただ、実際にサリンを撒いた実行役と、彼らを送迎した運転手役には、明らかに役割の違いがあるとして、同一チームのペアを組んだにも拘わらず、運転手役には、他に死刑に相当する事犯がない限り、裁判所は無期懲役の判決を言い渡していた。

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 それで、実行役だった横山には、担当路線で殺した人間が0名であるにも拘わらず、死刑が下ったのだ。

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 彼が、もしもサリンの袋を突くところまでいかず、そのまま逃げ出していたなら、死刑にはならなかったかもしれない。

 ところが、林郁夫は死刑を免れている。12人の死亡に共同の責任を負うはずが、しかも、自分の担当路線では直接2人も殺しているというのに。

 その理由は、繰り返しになるが、同事件における「自首」だった。

 地下鉄サリン事件どころか、最初は、他人の自転車を勝手に乗り回していた“自転車泥棒”の容疑で身柄を拘束され、その後、指名手配中のオウム信者の逃走を手助けし、匿った容疑で逮捕されている。

 そのまったくの別件の取調中に、捜査当局ですら予想もしていなかった一言、

「私が地下鉄にサリンを撒きました」

 と、零したことから、事態は一変。事件の全容が明らかとなり、実行犯、運転手から、麻原の逮捕にまでつながっている。

 取り調べ段階から知り得る限りの事実関係、犯罪事実を積極的に供述し、公判においても躊躇することなく証言を繰り返した。もちろん恭順的な態度で。その姿勢と貢献を、判決はもとより、捜査当局が高く評価。もはや検察の論告において「無期懲役」が求刑されていた。