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オウム裁判で下された「誰も殺していない男」の死刑判決 その運命の分かれ道

『私が見た21の死刑判決』より#29

2021/03/06

source : 文春新書

genre : ニュース, 社会, 読書

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大きな分かれ道になった「逮捕された順番と時期」

 それならば、と強く主張したのが、豊田と廣瀬の弁護人たちだった。

 豊田や廣瀬も、逮捕された直後から、素直に取り調べに応じ、公判でも罪を認めて、共犯者の公判でも積極的に証言を繰り返してきた。その反省の姿勢は、林郁夫となんら変わるところはない。あと付けになるが、現実の判決の中にだって、彼らの姿勢は高く評価されている。ただ、違うとすれば逮捕された順番と時期に他ならなかった。自転車泥棒で林郁夫が逮捕されていなければ、林よりも先に、豊田が、あるいは廣瀬が別件で逮捕されていれば、きっと彼らだって素直に地下鉄サリン事件の自供をはじめたに違いない。彼らにこそ、自首が認められることになったのではなかったのか。弁護人は、そう主張して死刑回避を求めたのだ。

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 他よりも1袋多い3袋を破ってサリンをまき散らし、8人を殺害した林泰男にだって同じことが言えた。たまたま、捜査の網をかいくぐって逃走を長く続けたとはいえ(もっとも、自転車泥棒で捕まるようなヘマはしなかった)、判決では「被告人の資質ないし人間性それ自体を取り立てて非難することはできない」とまで断じているのだ。順番が違えば、立場も変わっていたかもしれない。

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 しかし、あくまでそれは、“たられば”の仮定の話。仮に、豊田、廣瀬が先に捜査当局に身柄を拘束されたとして、本当に彼らが自供をはじめていたかは、誰にもわからない。教団の教えには強固なものがある。指示されていた通りに、黙秘を貫いていたかもしれない。2人が供述に至ったのだって、実行犯であることが捕まった時点でばれていたから、観念したのかもしれなかった。想像を判決に反映させるわけにはいかない。現実として、間抜けなことに自転車泥棒で捕まって、最初に事件を暴露した林郁夫が、美味しいところを持っていった。早い者勝ちだったのだ。