『灰の劇場』(恩田陸 著)河出書房新社

 作家である「私」の胸に、デビューしたての頃から棘のように残り続けている新聞の三面記事。当時一緒に暮らしていた女性二人が橋の上から飛び降りて自殺したという。詳細はうろ覚えだが、たしか二人は自分よりもかなり年配で、大学の友人とはいえ他人同士の心中だった。「結婚の経験はあったのか? どんな職に就いていたのか?」「いったいどうして、一緒に死ぬという選択をしたのか?」二十数年が経った現在地で、作家は「彼女たち」の姿を小説にしようと試みる。

 先に言っておくと、実はこの作中作のタイトルが『灰の劇場』。要するに本作は、実際にあった事件を基に書かれた小説であるだけでなく、作家・恩田陸自身をモデルに据え、その創作過程を織り込んだノンフィクション・ノベルの性格も持ち合わせているわけだ。

 物語は「0」「1」「(1)」と題された三つのパートが並行した状態で進行していく。かの事件について考え続ける作家のモノローグとして綴られる「0」。心中の結末へとゆるやかに向かっていく二人の女性の姿を描いた「1」。そして、作家が書いた物語が舞台化される過程を追った「(1)」。「1」が作家によって書かれた物語であることは読んでいるうちにおのずと知れる仕掛けになっている。実際、「1」に登場するTとMの輪郭はある意味では規格化されたものだ。いわゆるお嬢さんタイプで安定した結婚を選んだTと、バリバリのキャリアウーマンで自立した生活を営んできたM。その好対照ぶりは、むしろ「女性」という共通項による困難を際立たせるものとして機能し、「彼女たち」の物語に対するわたしたちの理解を加速度的に助長させていく。

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 だが、「彼女たち」を絶望へと追い込んだのは、まさにそうした過程ではなかったのか。本来ならひとつとして同じでないはずの、おびただしい喜びや苦悩を捨象し、「日常」の一語へといやおうなく収束させていく、この記号的な消費の在り方それ自体ではなかったのか――。その問いは「0」の中で、作家本人にとってごく身近な人の死という形で鋭く突きつけられるのだ。

 最初のページをめくる。情景描写があり、人物がいる。つまりは誰かの生活が、人生が、そこにある。近年「事実に基づく物語」という惹句が帯文にあふれかえるようになったのは、まさにそうした「物語」をめぐる約束事の強度が――すなわち読者と小説のあいだにあったはずの信頼関係が大きく揺らいでいることの証でもあるのだろう。

 ところが恩田陸の明晰なまなざしは、その揺らぎ自体を小説の動力へと鮮やかに転化してしまった。本作を読んだ先でわたしたちを待ち受けるのは、フィクションの魅力が事実の不明瞭さをたやすく蹂躙していく過程であると同時に、その暴力的な轍(わだち)にこそ、まぎれもなく現実の輪郭が重ねられるという、くらくらするような「事実」なのだ。

おんだりく/1964年、宮城県生まれ。92年『六番目の小夜子』でデビュー。2005年『夜のピクニック』で吉川英治文学新人賞と本屋大賞、06年『ユージニア』で日本推理作家協会賞、07年『中庭の出来事』で山本周五郎賞、17年『蜜蜂と遠雷』で直木賞と二度目の本屋大賞を受賞。
 

くらもとさおり/1979年生まれ。書評家。共同通信「デザインする文学」、文藝「はばたけ! くらもと偏愛編集室」等が連載中。

灰の劇場

恩田陸

河出書房新社

2021年2月16日 発売