「M-1グランプリ2020」で優勝し、一躍人気となったマヂカルラブリーの野田クリスタル(34)。その彼がピン芸人時代から出演して独特の芸風を育んだインディーズライブ、通称“地下ライブ”がいま注目を集めている。
野田が高校時代から師匠とあがめる“地下芸人”界のレジェンド「モダンタイムス」のとしみつ(42)と川崎誠(42)に、多くの人気芸人たちを生み続けてきた“地下ライブ”の歴史を語ってもらった。(全3回の2回目/#1、#3を読む)
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地下の文化が始まった2000年代
――モダンタイムスがデビューしたのは2005年。その頃のお笑いライブの世界ってどんな感じだったんですか?
としみつ 90年代は、事務所ごとのライブか、事務所に出演オファーがあって出る形のライブが普通でした。
川崎 芸人が自分でライブをやる地下の文化が徐々に生まれていったのは、2000年代前半から。その前は、事務所に所属していない芸人はお金を払ってライブに出演するしかなかった。ワンフォール・ウエスト(芸能プロダクション)が主催してるシアターD(渋谷にあった劇場)のライブもそうで、最初のうちはそれに出たんです。
「下北の流れ星☆、中野のハマカーン」という時代
――ワンフォール・ウエストってどんな芸人さんがいたんですか?
としみつ オレらの同期だと、ゴー☆ジャス(42)とかになりますね。まだ、あの派手なキャラクターになる前です。サッカーボールで一人コントとかやってる時代。ゴー☆ジャスも長いことライブができなくて、初めて出演するってなった時は「やっと出られたぞ!」って一緒になって喜びましたね。クソほど高いノルマを払って出るライブなのに(笑)。
ワンフォールに出ると、次のライブを紹介される流れがあって。それで出たのが、野田クリスタルと出会った「松みのるライブ」。それが終わると、「なかの芸能小劇場」に出られるみたいな感じでランクアップしていくイメージだった。
当時は毎月1回、なかの芸能小劇場で「お笑いゼロワンライブ」があって、ハマカーンさんが出て盛り上がってましたね。ほかにインディーズでは、流れ星☆さんがすごい人気だった。