文春オンライン

しんどい物語だったけど…朝ドラ「おちょやん」クライマックスの大逆転に見る“好感度と視聴率”の宿命

2021/05/13
note

「当たり障りのなさ」から物語がはみ出す瞬間

 主義主張がありそうなことは極力ぼやかすことで、嫌悪感をもつ人を減らすこと。すなわちそれはたくさんの人に好まれることである。朝ドラは朝の支度の時計代わり、モーニング・ルーティーンであるからこそ、度が過ぎた不幸を見ることは朝、昨夜飲んだお酒がまだ残っているような後ろめたさがある。

 朝はやっぱり昨日の出来事はリセットして明るくさわやかであってほしい。言ってみればYouTubeにある作業用クラシックのようなものであれば、熱狂的に支持されなくても嫌われることはない。

 好き嫌いや意見が分れそうな戦争の歴史、不倫をはじめとした男女の愛憎、親との確執などの出来事は「喪失感」というワードにくるみ、音楽や演劇、落語など専門職のディテールや過程は省き結果だけ描く。最近は、姑の嫁いびりも国防婦人会の横暴もなりを潜め、主人公の同世代との格差も控えめになった。

ADVERTISEMENT

「おかえりモネ」ヒロインの百音を演じる清原果耶 ©AFLO

 ポリコレが重視され、「多様性」の下にすべてに白黒つけないようになってきているため、吊橋のように大きく揺れる劇的な出来事によるドキドキ、わくわくが作りにくい。唯一、許容されるのは前述のシンプルな逆転ゲームのようなものなのだが、女性の半生ないし人生を主として描いてきた朝ドラとは親和性が薄い。そうするとますます作業用クラシックを職人のように極めていくしかない。

 当たり障りのない好感度という点でいえば、意味のない世帯視聴率を毎日出し続けることはまさに朝ドラの好感度キープに貢献しているといえるのかもしれない。でもたまにそこからはみ出して、作業用クラシックが稀代の名曲に変異する瞬間が、長寿番組・朝ドラの楽しみ。「おちょやん」にキラリと光る瞬間を見つけた者は幸福である。例えば、父や夫への憎悪を清潔な感情に浄化した杉咲花、ドラマのなかでほとんど描かれなかった文学にも興味があったモデルの劇作家の繊細さをかすかにのぞかせた成田凌などアルバムに残しておきたい名演技であった。

「おかえりモネ」は明るさ、さわやかさの中に何を潜ませているか、目をこらして見たい。

しんどい物語だったけど…朝ドラ「おちょやん」クライマックスの大逆転に見る“好感度と視聴率”の宿命

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー