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寝ないで準備したプレゼン、そして運命の出会い

――その後、どのようにして販売までこぎつけたのでしょうか?

松本 当時は実家がある静岡に住んでいたのですが、近所のビデオ屋に行って店長と親しくなって。そこからソフト・オン・デマンド(SOD)の営業さんを紹介して貰ったんです。SODさんなら、面白いことを色々していたので、理解して貰えると思った。でも何もツテがないので、まずは営業さんに「凄い商品を作ったので、説明させて下さい!」と頼みこみました。

――凄い行動力ですね!

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松本 そうは言っても、こっちはどこの馬の骨ともわからないオヤジですからね。東京でプレゼンをさせて貰うまでには、丸1年掛かりました。でも、だからこそ「これを逃したらチャンスはない」と思って、寝ないでプレゼンの準備も頑張りましたね。「セルフプレジャーアイテムを、世間一般の物として受け入れられるものにしたい」とアピールしました。それまで2年以上TENGAの自主製作をしてきたんで、命がけでしたよ。当時、一着だけ持っていたバブル時代のJUNのダブルのスーツで臨みました(笑)。そしてプレゼンの結果、当時SODの社長だった(高橋)がなりさんが、「すごい面白いね」って興味を持ってくれたんです。

©️文藝春秋

――まさに、運命の出会いですね。

松本 2004年に上京して、2005年3月に会社として登記し、その年の7月7日に最初の「TENGA」シリーズを発売しました。その後は、おかげさまでヒット商品になってくれました。

「絶対に人に喜ばれるはず」という強い信念

――ゴールの見えない展開だっただけに、途中であきらめそうになることもあったと思います。そこまでの情熱をどうして持っていられたと思いますか?

松本 「将来、一般のものとしてのプレジャーアイテムを生み出すことができれば、絶対に人に喜んでもらえるはずなんだ」という、強い信念があったんです。なぜならば、TENGAってやっぱり人の根源欲求に対する製品だからです。

 例えば、男性の95.4%はマスターベーションをするという調査結果があるんです。10人に9人が買ってくれる可能性があるジャンルなんです。確か、毎日髭を剃る人って、半数以下くらいなんですよ。それより全然多いわけで(笑)。発売した当初は、『世界の中心で、愛をさけぶ』がベストセラーで300万部売れていたんです。だから300万個売るのが目標でした。今では、日本を含めた72の国と地域で販売していて、累計出荷数は9200万個になりました。

――もはや世界的企業ですね。

松本 ありがとうございます。世界的企業とは思っていないけれど、プレジャーアイテムという発想以前に、「世界中の人に喜ばれたい」という思いがありました。「自分の力で、今は無いものを作り出して、世界中の人に喜んでほしい」と。喜ばれたいんですよ、とにかく(笑)。