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2021/07/02

source : 文春文庫

genre : エンタメ, 読書, 企業

次々と愛人を抱えて平然としていた父・康次郎

 堤康次郎は、裸一貫から立身出世したいわば立志伝中の人物である。20歳の時に先祖伝来の土地を担保に入れて上京、早稲田大学の門を叩き、大隈重信に師事した。軽井沢と箱根の不動産開発を機に、西武グループの礎を築いた実業家であり、滋賀県選出の代議士として衆議院議長にまで上りつめた。その一方で、強引な商売の手法から“ピストル堤”の異名をとり、異常ともいえる好色ぶりでも知られた。清二ら7人の兄弟姉妹の母親は4人いて、そのうちの2人とは籍も入れていない。清二にとって、父は野心という言葉を、そのまま体現したかのような人物だった。

 次々と愛人を抱えて平然としている姿、有無を言わさぬ暴君のような立ち居振る舞い……。果ては女中にまで手をつけ、同衾している姿さえ目の当たりに見せられた息子が、父親にどのような感情を持つものか。

「今になれば、色々と弁解がましくいうこともできますが。幼子の目には、父は時々帰ってきては、母を強奪して行く暴君のようにしか見えなかった。子供にはわからないんですよ、父が背負っていたであろう矛盾の総量というか、矛盾せざるを得なかった生き方が……。

 振り返っても、やはり父への憎悪は激しかったと思います。憎しみ、恨み……、そうした気持ちが渦巻いていました」

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 しかし……。

 父に唾を吐きかけてもその唾は同じ血を引く自分にもかかる。父を否定し憎悪しても、自分はその父の息子であることから逃れることはできない。

 日本共産党の分裂に巻き込まれた清二は、党中央本部から除名処分を受ける。その後、東京大学を卒業したものの、肺結核を患い入院生活を余儀なくされた。この入院生活を終えた清二は一転して、当時、衆議院議員だった康次郎の秘書へと転身するのである。一度は勘当を願い、絶縁状を送りつけた息子の帰還だった。

「苦い帰宅だったのですか」

「苦い? うーん、苦いという感じではなかったですね」

「諦めですか?」

「いえ、そうではなくて……。どこまで行っても息子であるわけで。そうですね、父の息子であるという事実を受け入れたんでしょう。その意味では、諦めだったのかな……」